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蝉人(せみんちゅ)  叶

仰向けで転がっていた蝉が実はまだ瀕死状態で生きており、
近づくと急に鳴き出すという現象に『蝉ファイナル』と名付けた人はインターネットでちやほやされる以上の評価を得ているのだろうか。
毎年蝉の鳴き声が気になり始める時期にふとそんなことを考える。


みなさんご存知のとおり夏の風物詩である蝉は、
『風物詩』なんて綺麗な表現に反してあまりにもうるさい。
「ミーンミンミン」だったり「ジーッジーッ」だったり、
おそらく種類によって鳴き声は異なるのだろうけど少なくともわたしはあまり興味はないし、
なんにせよとにかくうるさい。

うるさいなどと邪険にしたけれども、
蝉はわたしの夏を形成するにあたってそれなりに重要な役割を担ってくれている。

わたしの暦ではカエルが鳴いている間は梅雨で、
蝉が鳴き始めたら夏と定義している。
雨の降ってる間だけカエルが鳴き雨が上がると蝉が鳴き出すなんてフェイントをたまに食らうが、
これは梅雨と夏のちょうどグラデーション部分で、
クリームソーダでいうとアイスとメロンソーダの間のシャリシャリ部分に相当するのだろう。


今年も蝉の声が目立ち始めた。
わたしの暦ルールに従うと夏が来たことになる。
どおりで暑いわけだ。
たまたまつけていたTVでは気温が37度の地域のことを報じていた。
7月でこの気温なら地球が微熱なんてかわいいものではない。
深刻に地球の心配をしたいところだが、
いささか遅いし地球に対してわたしは無力だ。
せめて医療従事者の負担にならないように、
水分補給と睡眠をしっかりとり涼しい場所で過ごすことにする。


ときに蝉はロマンチックな物語にされがちな面もある。
生涯のほとんどの期間を土の中で孤独に過ごし、
成虫になると妻を探すために命の限り鳴く。
そのたったひと夏、命がけの求愛は生物として美しいと評するのが妥当であるし、
うるさいなどと一蹴するわたしが傲慢なのかもしれない。


さてわたしはこの記事をまるまるひとつ使って蝉はうるさいと主張してきたが、わたし自身もそれなりにうるさい。
これは口うるさいという意味も含むし、声が大きいという意味も含む。または喋り続ける、蝉風に表現するなら鳴き続けるという意味も含んでいる。
わたしはカラオケを好むけれども、その理由のひとつに『合法で大声を出せる』も入っている。
これはわたしがかなり蝉寄りの人間である証明ではないだろうか。
なんてことだ、わたしは蝉人(せみんちゅ)だったのだ。

しかもわたしは鳴くだけに留まらず、泣くし、叫ぶし、場合によっては平手打ちくらいする。
そしてわたしの場合はひと夏で終わることなくひっきりなしに続くので、蝉よりもはるかに厄介だ。
気づきたくないことにまた気づいてしまった。
この鬱憤を晴らすために、この夏もわたしは思う存分鳴き続けるしかない。


それではまた。



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