すが あす香

絵画、イラスト/ 障害のある三つ子の兄弟と育ったこと、不登校の経験などから、心に寄り添…

すが あす香

絵画、イラスト/ 障害のある三つ子の兄弟と育ったこと、不登校の経験などから、心に寄り添い物語を感じられる絵を描いています

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【プロフィール】絵画・イラストレーション

*随時更新中 【生い立ち】 1998年12月 愛知県にて三つ子の真ん中として誕生 アスペルガーの兄、重度自閉症&脳性麻痺の弟と共に育つ 幼少期より絵を描くことが大好き 7歳〜14歳までインド人画家のいる絵画教室で、自由に絵を描く楽しさを学ぶ 中学・高校では創作活動から離れるものの、高校3年での不登校をきっかけに、再度絵を描き始める 2017年より児童発達支援施設のエントランス装飾で、季節の絵を毎月担当 2020年 京都芸術大学 通信教育課程 入学 油絵を学ぶ

    • 生きづらさを抱える子と過去の私へ

      先月、京都芸術大学 通信教育課程 洋画コースを無事に卒業しました。 4月からはもう学生じゃなくて、社会人。アルバイトをしながら公募展や展示に向けて日々制作をしています。 卒業制作展ではコース奨励賞を受賞しました。先生が推薦してくださり、大学のwebマガジンにインタビューが掲載されています。 卒業制作の背景をメインに、入学の経緯、通信制芸大での学びなどをお話ししております↓ インタビューでもちらっと語っているように、私は17歳のときに心身のバランスを崩して不登校になり、通信

      • 落ち葉はきで思い出した幼い頃の見立て遊びの記憶

        バイト中大量のテーダマツの落ち葉掃きをしていて、保育園でテーダマツの葉を箸に見立てておままごとに使っていたことを思い出した。 私は割と幼い頃の感覚が変わらず残っている方なのだけど、すっぽり抜け落ちていた小さな記憶が蘇ってきてなんだか感動してしまった。 自分の中ですごく感情が動いたとか、衝撃を受けた出来事は覚えてるけど(本物だと思っていた保育園の節分のときの鬼が、被り物の下に髪の毛が見えて先生だと気づいたこと。親子遊戯のときに恥ずかしくて輪の中に入れなかったとき、普段口数の

        • 図書館派だけど本屋もいいなと思った

          先日千種区のon readingという本屋に初めて行った。存在は知っていていつか行ってみたいなーと思っていたお店。 そこで見つけた素敵な写真集↓ 次の用事があったので、帰宅してから図書館で予約して後日ゆっくり眺めました。 人の自然な姿を撮るのが上手な人っているよね。私は公式サイトみたいな整ったきれいな写真は得意だけど、日常生活の時を止めたような一瞬を切り取るのは苦手。なんか、どこでシャッターを切れば自然になるのかわからない…なので尊敬します。 この写真集は、日常の風景の

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        【プロフィール】絵画・イラストレーション

          喋れなくとも幸せな成人男性、常識に揺さぶりをかける存在

          人と比べたり、先のことを考えたり、いろんな情報が溢れかえっているこの世の中で 不安になろうと思えばいくらでも不安になれる そんなときでも 弟は毎日同じ時間に起き、ごはんを食べ、風呂に入り、寝ます それも、たくさんの彼独自のルールに従った生活で(飲み残しや食べ物の残りは見えないようにする、食事は他の家族が完食してから食べる、咳やくしゃみをしたらニコと言わなければならない等) ↑一つ一つに彼なりのおもしろい理由があり、私はすごく納得できます笑 20年前から同じDVD(

          喋れなくとも幸せな成人男性、常識に揺さぶりをかける存在

          わかり合えることよりわかろうとしてくれることを

          人と人とは絶対にわかり合えない そう思って生きられるようになってだいぶ楽になった この考えに納得できるようになったのは、鴻上尚史さんの著書をいくつか読んでからだなぁ わかり合えない中にも、10%しかわかり合える部分がない人もいれば 50%、75%、80%わかり合える人もいる 感覚や考え方が似てる人と出会えるのはうれしいことだけど 大事なのは、価値観が違ってもそれをわかろうとしてくれるかどうか 考えを話したときに「その考え方はおかしい」と否定する人や 相手の考え

          わかり合えることよりわかろうとしてくれることを

          二十歳過ぎての成人式

          成人式に行かなかった 振袖も着なかった 小中学校の同級生と交流も全くなかったし、何より当時の自分を写真に残すことが嫌だった 時間をかけて身なりを整えて晴れ舞台に臨む、というエネルギーをかけることを自分に対してしたくなかった 自分なんてそんなことをする価値はない、と思いこみたかった それから3年ぐらい経って、、 体調を崩したことで周囲の人への感謝をすごく強く感じるようになった 周りに感謝を伝えるためにも節目の行事って大切なのかもしれない、と考えるようになった 学

          二十歳過ぎての成人式

          不登校を経験して変わったこと

          まさか自分が不登校になるとは思ってもなかった 小中学生の頃は特に深く考えずに学校は行かなきゃ行けないものとして、普通に学校に行ってた きっかけは部活が忙しすぎてキャパオーバーしたことだけど、根本的にいろいろ無理してた部分が爆発した感じ 高2の3学期から遅刻や早退が増えて、高3の1学期にはもう全然行けなくなって いよいよ卒業が危うくなって、2学期からは奮い立たせてがんばってたんだけど欠席日数の上限を突破しちゃって 選択肢は留年か、退学か、通信制に転校かの3択だったんだ

          不登校を経験して変わったこと

          過去に描いた絵をみる

          ここ1、2年の間に描いた絵は、見返すと恥ずかしかったり改善点が目についちゃって、うーんと言う気持ちになるのだけど 3年以上前に描いた絵は、今みるといいなぁって思うものが多い 描いてたときの主観がだいぶ抜けて、客観的に観られるのかな? 表現したいイメージを形にする上で技術不足を感じて大学に入学したけど、学校に入ったことで少々頭でっかちにはなったなぁと思う 過去の画家〜クラスメイトまで、いろんな人の絵をたくさんを見たり、いろんな意見を聞いたり、 自分とは違うスタイルで描い

          過去に描いた絵をみる

          完璧主義なアウトプット

          絵も文章も、理想的な状態になるまで形にするのを躊躇っていた 形にすることで目に見えて未熟さを実感するのが嫌だったのかもしれない 特に文章は、実力もないのに言葉だけいいこと言っても… 口だけ人間になりそうで嫌だなと感じていた 最近は、未熟なままでもいいからアウトプットしてみるのも大事だなと思うようになった 外に出したことが変わるきっかけになるかもしれない 内に秘めてるだけでは得られないことに気づけるかもしれない 外に出すことは、最終地点じゃなくて過程 あとシンプ

          完璧主義なアウトプット

          答えのない問いを考え続ける

          白尾悠『サード・キッチン』を読んだ 好きなイラストレーターさんが装画を担当されているのをきっかけに知り、ずっと読んでみたかった本 "答えのない問いには学び続ける、考え続ける価値がある" という言葉がとても印象深かった この頃考えていたことほとんど、正解がないことばかりで、(世の中大半そうかも) 主人公と同じように諦めに近いような、よく言えばフラットな思考になっていた (結果論かもしれないけど)一見不幸に見えるようなことの中にも学びがあったり、 (想像でしかないけど)こ

          答えのない問いを考え続ける

          波があるのが自然なこと

          急にネガティブな気持ちになって、制作も気力が湧かないしやる気が起きなくて 原因も特に思い当たらず、なんだろうな〜とモヤモヤしていた 普段よりだいぶ遅く起きた翌朝、 なんか急にネガティブなんだけど何が原因だろう?と母と話してみたら >人間なんだからネガティブになるのも当たり前じゃない? −確かに! >波があるのが自然なことだよ というやり取りがあり、すごく腑に落ちた 60%の日も30%の日もあって当たり前 90%からいきなり20%になると、調子が悪くなったような気分に

          波があるのが自然なこと

          玉ネギの皮を剥くような作業

          問題行動が表面に表れたとき、その問題行動を引き起こしている根本的な原因を探す 一つ一つの現象を過去と照らし合わせながら、自身に問いかける それはまるで玉ネギの皮を一枚一枚剥いていくような作業 そして最奥には問題行動を引き起こす、意外な原因が潜んでいたりする 怒りは自信のなさであり、自信のなさはプライドの高さが原因だったりする 問題行動を問題とはならない程度まで小さくするには、皮を一枚剥いた程度では変わらない 何枚も何枚も剥いてようやく根本にたどり着いて、目指すべき方向が分

          玉ネギの皮を剥くような作業

          弟の夕食に立ち会ってみた

          重度知的障害&自閉症の弟(発語なし) 家族が食べ終わった後に夕食を食べるのが彼のルーティン 大体母か祖母が介助しつつ食べているのだけど、 今日はなんだかご機嫌の様でニコニコしていて可愛かったから、弟の夕食に立ち会ってみた 長椅子に母と弟が並んで、私は食卓を挟んで向かい合って 「おいしい?」「これ弟ちゃんが採ってきたピーマンだよ」と話しながら食べるのを見ていたら、 八の字眉をもう下がらないってぐらい下げて、くりくりの目がなくなるぐらい顔中笑顔で、すっごくうれしそう!! つ

          弟の夕食に立ち会ってみた

          2人の自分

          心の中にずっと2人の自分がいる感覚がある 二重人格とかではなくて 幼いままの自分と、年齢に沿って成長している自分と2人いる感じ 子どもの自分は世の中のいろんなことに違和感を感じて怖がって行動したがらない 大人の自分は客観的に冷静に物事を見つめられる 子どもの自分は差別やルールとは無縁の世界で壁を作らずに自由な視点で生きられる 大人の自分は周りの目や常識を気にして他人と比べて焦って自信を失くす 正反対のエネルギーが手を引っ張り合うときの葛藤はとても苦しい きっと

          初めて湧いた競争心

          これまで単純に"好き"という気持ちだけで、独学で描いてきた絵に限界を感じ デッサンから絵画の基礎を学んでいる イーゼルの前で描いているときは「自分なかなかいい感じ♪」と前向きに進めていても 講評しまーすと前に並べると あれ、なんか自分の作品しょぼいな、と… たくさん並んだ中でもパッと目を引くデッサンっていくつかあるのだけれど、 自分の絵にそういう存在感は感じられない(客観的に見ても) 悔しいーー!! もちろんデッサンは目立つことだけが大事なわけではないけれど 人の心に響く

          初めて湧いた競争心