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「イランに行くにはどうしたらいいですか?」

 2013年夏、19歳の大学生だった私は初めての一人旅をした。選んだ場所は中東のど真ん中に位置するイランという国だった。

普通は初めての一人旅といえば国内での「青春18きっぷの旅」や、「アジアでのバックパッカー旅行」なんていうのが世の大学生のスタンダードなのだが、当時の私は何を血迷ったのか唐突にイランに行くことを決めたのだった。

なぜイランかというと、そもそも最初はトルコに行って見たくて、ついでに足を伸ばしていける場所はないか、と世界地図を見たところ隣にイランという国が目についたからである。

日常生活では滅多に会話に出てこない“イラン”という、なんとなくエキゾチックで危険な香りのする言葉の向こう側に「おれはイランに行ったんだぜえ」と朗々と冒険譚を友人たちに話す自分の姿を垣間見た私は、速攻でイラン行きを決めた。つまり「イランに行ったんだぜえ」と、人とはちょっと違う体験談を語ることでモテたかったんだぜえ。

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 時給900円のロクでもない居酒屋のバイトで貯めたお金で、早速イラン行きの格安チケットを買うことにした。

当時旅行に関して全くの初心者だったので、自分でチケットを購入する方法がわからなかった。なので私はとりあえず大学の近くの旅行代理店に相談しにいくことにした。

受付のお姉さんは初心者丸出しの私に、カモが来たと言わんばかりに、とびきりの笑顔で出迎えてくれたが、私の第一声はこうだった。

「すみません、イランに行きたいんですけど」

一人で米も炊けなさそうな学生の口からイランと言う言葉が出るとは百戦錬磨のお姉さんも思わなかっただろう。彼女は「えっイランですか」と言ったきり固まってしまった。

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「そうなんですよ。危なくないですかねえ。」

「そんなことを気にするくらいなら沖縄とかパリとかロンドンとか、もっと違う選択肢があっただろ」というお姉さんの心の声が一瞬彼女の表情に出た気がしたが、プロフェッショナルである彼女はすぐに元の笑顔に戻り「確認しますね」と店の奥のほうへ消えていった。

「そんな国名、W杯の2次予選くらいでしか聞いたことないわい」と戸惑ったであろうお姉さんは店の奥で上司らしき人に相談し始めた。「イランのチケットってどうやってとるんですか?」とか聞いているんだろうか。

さっさとイラン行きのチケットが出てくると思っていた私は、接客カウンターで待ちながら、これから行くイランという国への思いを馳せていた。私の頭は沖縄でもなくトルコでもなく、もう完全にイランだった。

しばらくしてお姉さんは手元に資料を持って戻って来た。

彼女は「外務省のサイトでイランの情報を見たら“十分気をつけてください”という表記になっています。こればバンコクと同じレベルなので安全な国ということですね。なのでチケットの手配も問題ないです。」と話始めた。

どうやらお姉さんの中ではバンコクが各国の治安の良し悪しを判断する際の基準になっているらしい。その基準でいえばイランへのチケット手配は問題ないようだった。

自分の住んでいる街が、日本では他国の危険度を図る物差しとして使われていると知ったら、バンコクの住人はどう思うのだろうか。私は毎日、危険そうな国と同じ秤に乗せられているバンコクの人たちの心中を思って憂いた。

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加えて、外務省のサイトの“十分気をつけてください”という文言は実は“安全です”という言葉の裏返しであるようだ。言葉通りに受け取れば“危ないですよ”ということだがそうではないらしいので政府の使う日本語は奥深い。

そんなことで晴れて私はイラン行きのチケットを発券してもらう事ができた。

まずドバイに向かい、そこから乗り換えでイランに入国する経路だ。ちなみに、ギリシアにも行ってみたかったため、帰りの便はアテネから日本へ出国するチケットを別に購入した。

お姉さんが「イランからギリシアまでの航空チケットはあるんですよね?」と聞いて来たので私は「あります」と即座に答えたが、実際はそんなものなかった。

「イランのチケットください」といきなり言ってくるやつがそんなに用意周到なわけがない。どうやら私の嘘を見抜くほどの経験を彼女はまだ積んでいないようだ。

この瞬間、3週間でイラン中部からトルコを横断し、地中海を超えアテネまでたどり着くという、壮大な陸路の旅がこの決定した。金はないが、時間はあるというのが学生の唯一の特権なのだ!

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 無事に代理店でチケットを購入し終えた私は、意気揚々と旅行の準備をし始めた。

旅行用に買った登山用の45リットルのバックパックにはありったけの着替えを詰め込み、iPodのプレイリストには19年生きてきた中で、とびきり気に入っている曲たちを詰め込んだ。

 8月下旬の早朝に、家を飛び出した。10代最初の一人旅の幕明けだ。家を出るとき、両親は心配そうだったが、一方で少し嬉しそうでもあった。

成田空港で、使い慣れない臙脂色の飛行機会社のカウンターに向かいチェックインを済ませる。飛行機に乗ったら、次にこの足で踏むのは中東の土だ。

機動性よりも明らかにデザイン性を重視した、エキゾチックな制服を着たCAさん達が機内を闊歩する。雰囲気からしてもう日本の航空会社とは別物だ。

 そんなこんなで、トランジットを含め24時間以上かけ、ついにイランの窓口テヘラン国際空港に着いた。

 「テヘラン」なんて単語は世界史の教科書でしか聞いた事がない上に、歴史には一ミリも興味がなかったのでそれすらもどんな文脈で登場したのか思い出す事ができない。教科書の最初の方だった気がするし、後ろの方だった気がするが、そんなことはどうでもよかった。何はともあれ私の記念すべき人生初の一人旅がついに始まるのだ。

しかし、この時の私はイランという国は入国からして一筋縄ではいかないことを知らなかった。

この後、若干のトラブルが待ち受けているのだが…そんなことはつゆ知らず、私は軽い足取りでイミグレーションまで歩を進めるのであった。

今回の話はここまである。キャッチーなタイトルにしておきながらまだ入国のシーンにすら到達していないことに腹を立てないでほしい。物事を継続するにあたって、一番大事なのは「無理をしない」ということなので、今回は無理をせずここまでとしておきたい。

続く。


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