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私のトリセツあんど備忘録 ④ そもそもの発端は


婚活アプリを始めるに際して、自分に課したことがあった。

それは、

・ 自分に 「いいね」 をしてくれた人への感謝を忘れない
・ 自分だけが選ぶ立場にいるわけではないことを念頭に置いておく
・ 極力、無言ブロックはしない (自分がされて嫌なことを人にはしない)

ということだ。



その土台には、

「自分をいいと思ってくれた人のことをありがたがらなければ罰が当たる」
「そういう男性たちに対してぞんざいな対応をしたり悪く言ったりしたら
  いずれ自分がその報いを受ける」

という、因果応報に対する恐怖感・不安感 があった。
この先婚活ですごくつらい思いをしたとして、「あの時私がああいうこと
をしたからだ」 という自罰感情に苛まれたくない
という気持ちから、つい
つい 「いい人」 的な振る舞いをしてしまっていた。



私はもともと 無駄に共感力・同情心・罪悪感・責任感が強い らしく、
「自分がされていやなことを人にもするべきじゃない」 という考え方が
文字どおり骨の髄まで染みついている。
世界公正仮説」 を常時自分に適用してしまっているのかもしれない。


そういう一種の強迫観念のようなものが下地にあるせいで、私は

・ 自分の感情の面倒をちゃんとみて正しく自分ファーストをする、という
  ことが不得手
・ 自分で自分の感情を大事にしないで、溜めこんだ挙句に自分が損してる!
     と爆発する
・ キレる前に小出しにするということが習慣づいていない



プラス、

「見た目で判断してはけない」
「相手のいいところを探すべき」
「自分を好きになってくれた人を好きになるべき」
「自分にアプローチしてくる人が自分に見合ったタイプ」
「ぴんとこないというのは根拠なしに自分を高く見積もっているだけ」
「選り好みしていると、いつか誰もいなくなってしまう」
「いい女は愚痴や悪口を言ったりしない」

といった、婚活界に流布している言説が枷になって自分自身の首を絞める
ことになってしまい、言いたくても我慢して飲みこんだ本音が消化しきれず
逆流して噴出してしまっている
、というわけだ。



こういうの、責められてるようでほんとキツい 💧

こういう裏技って、溺愛される・モテるをどう定義するか、何を自分の
栄養だと感じるか、どんな関係性を最高だと思うか、によるんじゃない
だろうか?
ここに挙げられている行ないだけをやみくもに実行したからといって、
幸せを実感できる保証はないし、向き不向きがあると思う。

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