#2 続・甘ったれた人生と就農という獣道 <就農動機編>
今回の内容も「僕が就農を志した経緯」についてです。
前回からの引き続きになります。
就農を志した経緯については本記事で最後になります。
少々長くなってしまいましたが、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
就農という逃げ道
「うちにお父さんが相続した畑があるよ」
2年程前だったと思います。何かの拍子に母がそんなことを言っていたことを僕は覚えていました。
その時はへぇとしか反応しませんが、うっすらと社会からの逃避先として、のんびり農業でもやって生活していくのはどうかなと考えていました。
午前中は精一杯働いて、午後は早めに切り上げて縁台で本でも読む。贅沢なんてできなくていい。ひっそりと一人で生きていけるならそれで十分です。
もちろんあくまで空想ですから、経営や農業の現実のことなどは深く考えておりませんでした。
しかし、会社から訳あり商品の烙印を押された僕はその空想を何とか形にできないかと、しなくてはならないと焦るようになりました。
ですから、重い腰をあげ、就農に関するWeb相談を申し込むことにしたのです。
面談担当者は勝間さんといって五十代半ばくらいの誠実そうな男性でした。
簡単な自己紹介のあとに、ざっとプロフィールをヒアリングされ、なぜ就農したいかについて問われます。
僕は前日用意したもっともらしい動機を答えました。
「次の質問だけど、土地はあるの?」
僕は「はい」と答えました。すると、担当者の方は「それはかなり良い条件だよ!」と予想以上に喜んでくださりました。
話を聞くと、土地があるかないかで大きく就農へのハードルが変わるそうです。
僕の父が持っていた畑はそこそこの面積がありましたので、一人で農業を始めるのには全然問題ないとのことでした。
「作物は決まってる?」
これまたちょっと調べただけの小手先の知識を引き出し、失敗が少なそうという理由で「サツマイモ」と答えました。
「その土地に合った作物というものがあるから、まずはあなたが農業を始めたいと思っている場所で一番作られている作物を調べてみた方がいいね」
別にどうしてもサツマイモでなければいけない理由はありませんでしたので、僕は「分かりました」と答えました。
「あとは一番売れているものを作るのが有利だよ。その方がノウハウを得やすいし、流通経路も整っているいるはずだから」
おずおずと「6次産業化とかもやってみたいのですが…」と尋ねると、
「そういうのは生産体制が整って、資金が潤うようになってからだね」
最後に「農業についてもっと知りたかったらちょうど来週、就農相談会が開催されるから行ってみるといい」とアドバイスを頂いてその日のWeb面談は終わりました。
感触としては上々すぎるほどでした。
もっと「大変だよ」とか「計画を練った方がいい」とダメ出しを受けるものだとばかり思っておりましたので、何だか拍子抜けでした。
「もしかしたら本当にいけるのでは?」と僕に甘い考えを抱かせたのは言うまでもございません。
「新・農業人フェア」を訪れて
浮足立った僕はすぐに勝間さんが紹介してくだった就農相談会に参加の申し込みをいたしました。場所もそう遠くありません。
お昼過ぎ、会場に着くと、既に相談者が列を作って並んでいました。コロナ対策での人数制限がなかったらもっと多くの人が足を運んでいたのではないかと思います。
列には僕と同年代くらいの若者から、年配の方々まで、様々な方がいらっしゃいました。
少しでも有益な情報を得ようと謎に意欲を発揮した僕はそれぞれのブースを片っ端から訪問してみることにしました。
ずぶずぶずぶの素人が相談を持ち掛けても、ブースの担当者の方は皆、愛想よく受け入れてくれました。
有機栽培にこだわっている農家さん、イタリア野菜や珍しいハーブを専門に作っている個人農家さん、農場と隣接するレストランを共に経営している農業法人、農家と小売店を繋ぐ企業まで。
お話を聞いていく中で、ひとえに農業といっても、やっていることも経営者の考え方も多岐にわたるのだと実感しました。
見透かされた心
そんな中、ある一人の農家さんを尋ねた時のことでした。その方は兵庫で少量多品種の有機栽培をやられていて、お世辞にもそれほど大きくはない会社の社長さんでした。
程よく日焼けした、60代くらいのエネルギッシュな男性が腕を組んで座っております。
最初、僕が「ちょっとお話いいですか?」と声をかけると、「おう、いいよ!」と快く応対してくれました。
いくつか会話のキャッチボールをし、「どこで農業やろうと思ってるの?」と聞かれたので、「東北です」と答えると、社長さんは「え、うち兵庫だよ?何か用があるの?」と露骨に嫌そうな顔をしました。
「まずったなあ…はやく切り上げた方がいいかな」と思っていると、「まあ、いいか」と社長さんは一人でに納得して話を続けました。
話を聞くと、社長さんは元々農家の生まれだったわけではなく、もう何十年も前に脱サラして農業を始めたそうです。親族には農家になることを反対されたのだとおっしゃいました。
「でもね、人生一度キリしかないからね」
社長さんは人差し指を一本、真っすぐ立ててそう言いました。
社長さんのお話には、生き血が通ったといいますか、妙に惹きこまれるものがありました。
第一印象の気まずさはどこへやら、僕は気付けばその日一番長い間、ブースの席に座っていました。
「最初、少量多品種はぜったい止めた方がいいってみんなに言われた」
社長さんは笑い話のようにそう言いました。けれど、どうしてもそのこだわりだけは大切にしたかったそうです。
全国津々浦々、いろんな農家さんの見学に行ったり、毎日毎日本を読んだり、とにかく勉強漬けの日々だったと社長さんは言いました。
そこまでしても、自分の作った野菜たちは思うように売れず、「ほれみたことか」と市場ですれ違う先輩農家から、屈辱的な視線を投げかけられることもあったそうです。
「ホウレンソウがな、100円もいかねんだよ、100円も」
社長さんは再び人差し指を一本、真っすぐ立ててそう言いました。
「そんでな、ダンボール箱の上で、ちぇっ、またこんだけかあ。売れねえな。イイモン作ってんのになあって思いながら伝票書いてたんだよ」
そんな時、「これを作ったのは貴方ですか?」とピシッとネクタイを締めた男性に声をかけられたそうです。
手には社長さんが叩き売りしたホウレンソウを持っていました。
彼は有名百貨店のバイヤーでした。
「あん時は本当に嬉しかったなあ。毎朝早く起きてな、きったねえなりで市場に行って、悲しくなって帰ってくるだけだったから」
社長さんはしみじみとそう語りました。
「キミもなんとなく想像できるか?」
僕は「はい!」などど元気よく言えた義理ではありませんでしたので、感心を表して相槌を打ちました。
すると、社長さんはうんうんと頷いて、ひどく優しい、柔和な微笑みを浮かべました。そしてこう言いました。
「まだ若いから大丈夫だよ。キミはまだあんまり本気じゃないね?」
有楽町線、6両目、端っこの席に座って出した答え
帰り道、電車に揺られながら、あれほど惨めに感じたことは今までございません。
自分が何になりたいのかも、何になりたかったのかも全く分からなくなりました。
ただ、社長さんの言葉を通じて、今まで見て見ぬふりをしてきたもう一人の自分の存在を――固い殻に閉じこもって、膝を抱えて座る自分の存在を心の奥に強く感じました。
彼はいつも夢を見ています。なりたい自分やこうだったらいいなと思う自分をいくつも思い浮かべて思いを馳せています。
その空想は「否定されたくない、誰にも相手にされないという現実に直面したくない」という恐れに対する防衛策でした。
かつて映像制作の職に就くことを諦めた時もそうでした。
「才能がない」なんていうのは建前です。自分で自分に言っているうちは何てことはないのです。それを誰かに証明されてしまうことがどうしてか物凄く怖かったのです。
かといって、潔く安定した職業や社会のためといった動機で生きていくこともできない、どっちつかずの半端者。
仲睦まじく会話をするカップル、小さな子供に静かにするよう躾けるお母さん、イヤホンを耳にツッコミすやすやと寝ている学生。自分以外の周りの人間が全員高尚な存在に思えました。
「けれど、別に幸せになりたいわけじゃないんだ」
この期に及んでも、どうしようもないくらい屈折した負け惜しみが頭の中にこぼれ出ました。
しかし、あまりに打ちのめされていたせいでしょうか。もしくは気まぐれかもしれません。
僕は脳内で呟いたこのあまりに卑屈で矮小な言葉に向き合ってみることにしました。使い捨てのティッシュペーパーよりも役に立たないこの恨み言にです。
幸せの姿
「人の幸せ」というちょっぴり啓発的な単語から思い浮かぶのはどういった景色でしょうか。僕の場合はこんな想像です。
「両親の愛を得てすくすくと育ち、甘酸っぱい青春の時を経て、社会の荒波にもまれ、良きパートナーとめぐり逢い、緩やかな老後を過ごす」
実に美しい人生だと本心からそう思います。ですが、時たまテレビのコマーシャルで見るようなこの光景に形容しがたい違和感を持っていたのも事実でした。
洗脳じみているだとか、制作者の意図が見え透いているからといった理由ではありません。
もっと捉えどころのないもので、どうせ大したものではないからと今まで捉えようともしなかったものでした。
東京、日曜日の夕方、様々な幸せが混在する電車の中で、僕はこの違和感を何とか形にしようと、吐いて出たしょうもない台詞を粘土のようにこねくり回しました。
就農が単なる逃げだったという事実を突きつけられた僕にはそれしかやることもありませんでしたから。
そして、一つの価値観が灯火のようにふっと心に湧き上がりました。
「幸せはゴールではなく前提」
幸せとは、お金、時間、労力を費やしてまで手に入れるべきものなのでしょうか。そんな大層なものなのでしょうか。
無論、そうして手に入れた幸せに価値がないと言っているのではございません。
ただ、人間としてこの世に産み落とされたからには、幸せなんてものは頑張って手に入れるものではなく、享受して当たり前のものなのではないか。
この考えに至った時、僕は思わず吹き出しそうになりました。
だってそうではありませんか。自らのアイデンティティの確立などという、贅沢な悩みに心身をすり減らした挙句、絞り出した思想がさらにこんな甘ったるいものだったのですから。
けれど、お金も労力も時間も、幸せのために使うのではなく、まず幸せになって、それからどう使うか決めた方が楽しい使い方になる。この確信は揺るぎませんでした。
そして、そうなっていない現実になぜか無性に腹が立ちました。
阿呆すぎる八つ当たりにほかありません。
ですが、阿呆すぎる青二才はさらに踏み込みます。
だったら、そんな理想を実現させてみたいと思ってしまったのです。
そのためならば、自分に才能がなかろうが、他人に否定されようが、相手にされなかろうがいい。不思議とそう思えました。
点と点
いくら僕の脳内に大輪の花々が咲いているとはいえ、全ての人の幸せを一度に叶えられるとは思っておりません。そんなことができてしまえば神も仏も青色のネコ型ロボットも苦笑いなさってしまうことでしょう。
そもそも「個人の幸せ」などというものは定義不可能な節がございます。
では、幸せの土台を作るというアプローチはどうでしょう。
最終目標は、誰もが小さな頃から大きくなった後も、最低限の衣食住が保証され、自分のやりたいことを追求できる環境が整っているという状況です。
GAFAクラスの企業やあらゆる国家レベルが手を取り合い、持ち得る力を総動員して、何とか可能性に上る程度でしょうか。そう考えると、少々難しいものがあるかもしれません。
僕はもっと、身近で、ありふれていて、誰もが「幸せ」と感じる原理的な経体験がないか考えました。
そして、「美味しい」と感じる心はそれに最も近い感情なのではないか。
加えて、軽い気持ちでふらっと出かけた先で美味しいものに巡り合えた時のような、そんな体験ができたら……
何か点と点が繋がったように感じました。
就農という獣道
僕は改めて、農という生き方と向き合うことにしました。
今回は逃げ道としてではなく、行く先の見えない険しい獣道としてです。
とはいえ、向き合ったはいいものの、先に進むには知識も技術も何もかもが欠如していました。
そもそも、目指す農業の形すら思い浮かべることができませんでした。
それもそのはずです。デスクトップからアクセスできる情報だけで、人間の生業を語ることがどうしてでき得ましょうか。
しかし、デスクトップからできることもそこそこたくさんあったりします。
僕はジモティーという掲示板で見つけた都内のある農家さんにメールを送りました。
「農業というものを知ってみたく、○○農園様が主催なさっている農作業のボランティアに是非参加させていただきたいです」
農業で生きていくことの生の声を聞いてみたいと思いました。そして、農業で生きている現場の方に自分の考えをぶつけてみようと思いました。その結果、例え自身の価値観が否定されたとしても。
ボランティア参加希望のメールを送ると、返事はすぐに返ってきました。
「いいよ!じゃあ来週待ってるね」
快諾の返信は思いの外僕を緊張させました。
おそらく土をいじるのは小学校の芋掘り大会以来の経験になります。
僕はメールに書いてあった持参物と身の丈にあっていない理想を持って、実際に作物が作られている現場に足を運ぶことになりました。
次回 ⇒ 「#3 袋一杯に詰まった野菜の重み <農作業ボランティア編>」
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