見出し画像

【編集後記】ツェリン・ヤンキー『花と夢』星泉訳 〈アジア文芸ライブラリー〉

シリーズ〈アジア文芸ライブラリー〉の最初の一冊として、ツェリン・ヤンキー『花と夢』(星泉訳)が4月18日に発売されました。担当編集者として、本作の企画の経緯や魅力を書き残しておきたいとおもいます。

『花と夢』書影 装釘:佐野裕哉/装画:荻原美里

『花と夢』について

舞台は00年代のラサ。ナイトクラブでセックスワーカーとして働く4人の女性たちを主人公に、それぞれの人生と共同生活を描いたシスターフッドの物語です。急速な都市化、農村の困窮や、伝統的な性別役割分業や家父長制、ミソジニー、性暴力、などを背景にそれぞれが事情を抱えながら夜の町にやってきて、小さなアパートで身を寄せ合って暮らしますが、あるできごとをきっかけに、4人の生活には変化が訪れます。悲痛な話ではありますが、美しく、またチベットの都市生活の香りを嗅ぐことのできる小説です。
なお、作中には性暴力およびハラスメントの直接的な描写が含まれますので、フラッシュバックなどの恐れのある方はご注意ください。

チベット自治区内でチベット語で書かれた長編小説としては、はじめて女性の手で書かれた作品であり、かつまたチベットの女性作家の長編が日本で出版されるのは初めてです。

なぜ「チベットの」とはっきり言わず「チベット自治区内でチベット語で」と微妙な言い回しになったかと言いますと、「チベット」は中国チベット自治区だけではなく、中国の青海省や四川省、インドのラダックやヒマーチャルプラデーシュ、シッキム、ブータン、などもチベット文化圏です。言語も、中国語や英語で創作する場合もあるし、チベット域内ではなく亡命チベット人や移民が欧米で小説を発表する場合もあります。したがって「チベット(の)文学」というのは多様ですし、定義しずらい。

おなじことは、「アジア文学」についても言えます。アジアで、それぞれの地域でそれぞれの言語で書かれた文学だけでなく、アジアからの移民文学、アジア出身の著者が欧米に定住して欧米の言語で書く文学などは「アジアの文学」と言えるのかどうか。移民2世や3世ならどうだろう。そういう問題があるので、わたしは〈アジア文芸ライブラリー〉について説明するときにできるかぎり「アジア文学」という言葉を避けてきました。そして、できるだけ広い「アジア」のつながりの中からアジアを考え直したいと思ったので、欧米のものも幅広く取り入れることにしました。話が逸れました。

企画の経緯

アジア文学のシリーズを立ち上げよう、と思い立ち、〈アジア文芸ライブラリー〉という名前もつかないうちからチベットの小説はぜひ入れたいなと思っていました。日本にはダライ・ラマの著作をはじめたくさんのチベットの書籍が出版されていますし(春秋社でもたくさん出しています)、チベット文化に関心のあるひとは多い。

チベット文学をリサーチするにあたって、手始めに読んだのがツェワン・イシェ・ペンバの『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』(星泉訳、書誌侃侃房)とラシャムジャ『路上の陽光』(星泉訳、書誌侃侃房)、ツェラン・トンドゥプ『黒狐の谷』(海老原志穂・大川謙作・星泉・三浦順子訳、勉誠出版)の三作品でした。

チベット文学というと素朴で敬虔な信仰世界とかそんな感じかな、などと思っていたのですが、予想を完全に覆されてどれも本当に面白かった。ラシャムジャの短編集『路上の陽光』は、都市化する現代を生きるチベットのひとの感性が手に取るように瑞々しく描かれていたし、ツェラン・トゥンドゥプの短編集『黒狐の谷』はストーリーがとにかく抜群に面白く、キャラクターも際立っている。そして、物語のスケールが大きい。輪廻転生を信じるチベットならではというか、今生こんじょうのことは物語のごく一部にすぎず、前世や来世、六道を射程に入れた舞台の大きさが驚きでした。

チベット文学を数多く翻訳してきた星泉さんのもとに、企画書を携えて伺ったのは2022年の夏。東京外大はわたしの母校(学部の方)にほど近い場所にあります。学生の頃はよく映画の上映会や学祭に遊びに行った場所で懐かしく、武蔵野の空は広くて快適でした。いまの「刊行の辞」のもとになる企画書(というか檄文)を読んで、星さんがいくつか作品を紹介してくださり、そのうちのひとつがツェリン・ヤンキーの『花と夢』でした。

星さんにシノプシス(レジュメ)を作ってもらい、あらすじやコメントを一通り読んで、悲しい話でもあるけど、ぜひこれは日本の読者に届けたい、と思いました。

作品の魅力と読みどころ

まず、主人公にあたる4人の女性たちだけではなく、それ以外の登場人物の生き生きとした会話に、なによりの魅力が感じられる作品です。それからチベットの輪廻転生や業報といった考え方や、信仰生活、それから食生活など、チベットの生活の匂いも感じられ、チベットを旅していたときのことを思い出しました。

チベット文学の特徴としてことわざが多用されるのですが、本作品にもチベットのことわざがたくさん用いられていて、それをひとつひとつ拾ってゆくのも楽しいと思います。チベットでは議論においてことわざが重要であり、ことわざを駆使することが弁論術の要件なのだとか。

また、作品のテーマである、セックスワークに従事することとなる事情や、彼女たちが生きる世界の社会背景が示唆されてはいるのだけど、なにを善でなにが悪かと簡単に切り分けることなく、丁寧に優しい言葉で人々を描きだしていることもひとつのポイントだと思いました。社会背景については訳者解説で星さんにも詳しく書いていただいたので、ぜひお読みいただきたいと思います。

一方で、フェミニズム文学として読むと、ある違和感が感じられる部分もあります(これも訳者解説でも触れられている通りですし、読んでから考えていただきたいので詳しくは書きませんが)。不自然にも思える描写でありますが、これはわたしたちとチベットにおける物事の考え方の違いに由来している。そういう現地に染みついた観念が、問題を難しくしているのではないか、とも思えてしまいます。それは一方で、西洋世界のフェミニズムだけではなく、それぞれの地域の文化や歴史の違いから生まれてくる多様なフェミニズムの声を聞く必要があることを示しているのではないかと思います。(西洋のフェミニズムに普遍性がないとか、そういう話をしているのではないですよ、念のため。)

〈アジア文芸ライブラリー〉では、主流にはならなくとも様々な地域から挙がる声を、これからも拾い上げていきたいな、と思っています。

装釘について

装釘は、シリーズの最初の本として目に付くようなデザインにしたかったし、まだ見ぬ読者にとって宝物のように大切な一冊として持っておいてほしい作品でもあったので、どのような装画にするかはデザイナーさんとも随分と長い時間を掛けて話し合いました。

最終的に、装画は荻原美里さんに描き下ろしてもらいました。ペク・スリンの『夏のヴィラ』の装画を見たときからずっと荻原さんにいつかは装画を描いてもらいたいな、と思っていたのですが、佐野さんが荻原さんが以前に描いた草花の絵を見つけてくれて、こんな感じでどうでしょうと提案を受け、これだ、と思ったのです。

荻原さんはゲラになる前の原稿を読み込んでくれて、いくつかのラフを出していただきました。そのなかにあったのがこの桃の絵でした。メールには、「ラサの街に春が近づくと桃の花が咲き乱れると聞いたことがあります。桃は木なので風が吹いても倒れないしっかりとした強い意思をこの小さな花に表現してみました。」と書かれていました。これだ、と思い、この線でいくことにしました。

可憐な四輪の花に強い意志がそなわっていて、ラサでしなやかに生きる姿が想起されます。儚いけれど人生の美しさ、慈悲、といった物語の特徴を汲み取って描いていただき、ほんとうに感激しています。ぜひ書店で、手に取って眺めてみてください。

また、梅屋敷の書店・葉々社さんの主催で、刊行記念イベントを行うことになりました。本書の翻訳者の星泉さんと、〈アジア文芸ライブラリー〉を企画・編集している編集者の荒木駿さん(誰だろう……🤔)の対談形式です。星さんにチベット文学や本作品の魅力や背景などを伺う予定です。時間が許せばシリーズ〈アジア文芸ライブラリー〉の裏側についてもお話しようと思います。あらきさんが表舞台に立つのははじめてということで、リアルに生きているあらきさんを目にすることのできる貴重な機会です。ご予約は葉々社さん、メールはinfo(アットマーク)youyousha-books.comもしくは下記までお電話で。お待ちしております。



ツェリン・ヤンキー著『花と夢』星泉訳〈アジア文芸ライブラリー〉
2024年4月18日発売
定価:本体2400円+税
ISBN: 978-4-393-45510-4

電子版も近日発売予定です。

以下の記事も読んでくれたら喜びます。


この記事が参加している募集

海外文学のススメ

編集の仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?