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好きな本レビュー第4回目『伊坂幸太郎/死神の精度』

伊坂幸太郎さんは、大好き!な部類の作家です。
独特な物語に、登場人物のセリフに名言が多いことでも有名。
映画化されている作品も多いですね。映画に関しては観たものも、観てないものもあります。

宮城県に昔の友人が住んでいるのですが、その人の案内で仙台の観光地を巡り、「ゴールデン・スランバー」や「重力ピエロ」が撮影されたロケ地にも連れて行ってもらったことがあります。
もう7、8年前の話。晴れていて良い日だったなぁ。元気だろうか。
また3月が来たことだし、東北へ思いを馳せる意味も込めて連絡をとってみようか。なぜか伊坂さんの本が恋しくなり、またこれを読んだのも何かの縁かもしれない。

そういえばその友人は、市内で伊坂さんが普通に散歩しているのを見かけたことがあるとも言っていた(笑)


『伊坂幸太郎/死神の精度』




こんな人物が身近に現れたら、彼/彼女は死神かもしれません。
(1)CDショップに入り浸り、(2)苗字が町や市の名前と同じで、(3)会話の受け答えが微妙にズレていて、(4)素手で他人に触ろうとしない。
”人間が作り出したもので最も素晴らしいものはミュージックで、最も不要で最も醜いものは渋滞だ。”
人間の世界に降り立ち、7日間のうちに対象者の死について「可」か「不可」かの調査と報告を行う死神「千葉」。
クールでいてどこか奇妙、音楽を偏愛しちょっとズレた千葉が出会う、6人の対象者。6つの人生。

この本はすごく読み込んでいます。伊坂幸太郎さんという作家に出会ったのも、この本がきっかけ。
趣味でライブに行き始めた頃、それを通じて知り合った人が当時mixiかブログか(もしくは魔法のiらんどか。なつかし!)で紹介していて、その人が書いていた
あらすじを読んですぐに書店で手に取った。そしてこの作品が大好きになりました。


伊坂幸太郎さんの、いやこの死神の「千葉さん」の、独特で奇妙な語り口。
さっきから大好き言い過ぎですが、これは本当に大好きです。だんだんこの千葉さんに愛しさすら感じてきます。

ズレた会話、ひとつひとつがおもしろい。
人間でなく、人間になんの共感も畏怖も感じていない視点から、淡々と語られる私たち人間のお決まりの行動、思想が可笑しい。

文中からいくつか引用します。

人間というのは実に疑り深い。自分だけ馬鹿を見ることを非常に恐れていて、そのくせ騙されやすく、ほとほと救いようがない、と私はいつも思う。もちろん、救う気もないが。

「死神の精度」

それは同情を誘おうというよりは、ただ単に、自分の境遇を恨み、不貞腐れているようだった。
(中略)
「わたし、醜いんです」とぽつりと言った。
「みにくい?」私は本当に、聞き間違えた。目を細め、顔を遠ざけて、「いや、見やすい」と答えた。「見にくくはない」。

「死神の精度」

「雨男なんですね」と彼女は微笑んだが、私には何が愉快なのか分からなかった。
(中略)
「雪男というのもそれか」
「え?」
「何かするたびに、天気が雪になる男のことか?」

「死神の精度」

「おっさんくらいの年齢だと、年貢の納め時、とか言うんじゃねえの」
(中略)
「おい」
「何だよ」
「年貢制度は今もあるのか?」

「死神と藤田」

「な、おっさん、藤田さんは一味違うんだよ」
(中略)
一味違うも何も、お前は藤田を食ったことがあるのか、と疑問を口に出しそうになるが、どうせこれもレトリックなのだろうな、と判断した。

「死神と藤田」

「世の中って理不尽ですよね」
気が利いているようでいて、実のところ何も言い表していない、という台詞を私は言ってみる。こういう空虚な言葉が、間を埋めることはよくある。人間が好んで使う手法だ。

「吹雪に死神」

「すげえことを言ってやろうか」
「そうだな、すごいことを言ってくれ」

「旅路を死神」

「これってよ」と言った。「人の一生みてえだな」
「何だそれは」以前、同僚の死神が言っていてのを私は思い出した。人間は、何をみても人生と結びつけるのだ。

「旅路を死神」



正直、こういう小気味よくてお気に入りの会話がたくさんありすぎて書ききれない。

「旅路を死神」では、「重力ピエロ」の”春”らしき人物が出てきます。
こういう他の作品の登場人物が別の作品でひょっこり出てくることがちょくちょくあって、こういうところ、伊坂ファンはたまらないのです。

この「旅路を死神」の話が個人的にはちょっとなにかつらい。
人を殺したグレた森岡、そんな森岡に見知らぬ犬が怒り、唸る。
それに対して寂しそうな、悲しそうな「俺が何したっていうんだよ」。
ここにこの子の幼少の頃の寂しさや理不尽な形でついた心の傷や、それから生まれてしまった罪悪感や自分は嫌われるという警戒心、そういうものを感じてしまってついつらくなる。すぐキレて人を刺す、短絡的でどうしようもない人間なんだけど。
犬がたまたま怒っていただけというのがわかった後の、「俺が悪いんじゃなかったんだな」という独り言も、切ない。
エンタメ色が強いようで、ずっとテンポが良いのに、しっかりこういう描写も盛り込んでくる。

「音楽好きの死神」という視点から語られる人間の生、生き様。
この6人の人物には本当はちゃんと血の通った人情ドラマや哀愁がそれぞれあって、それに私たちはお決まりの感動や共感を覚えかけるのだけど、死神である千葉さんの視点からそりゃもうクールにドライに語られるものだから、どうも可笑しみを感じてしまう。
つい人間的共感を持ちながら読んでいる私たちからすると「そんなあ」と思ってしまうような、本当にドライで血も涙もない(いや本当に”血“も”涙”もないのだけど。死神だから。)展開になったりもするのですが、でもだからこそ、「死を通してみる人間ドラマ」や「この人の生き様」的、感動、共感、思わず心を痛めるようなそういう要素のない、あたらしい視点で、”単にそこにある人生”が見える感覚になる。

私の、”単にそこにある人生”の”単にそこにある時間”、その中でこういう作品や物語に出会う。単なる時間の中でこういうものに出会う。
それが単にそこにあるだけの人生の単なる時間に、きらめきをもたらすということ。
単なる人生が一瞬ただごとではなくなること。
自分の時間のきらめき、ひいては生への喜びが、私には死神によってもたらされたようでした。


なぜか今回は「です、ます」で書きました。そういう気分だったのでしょう。
好きな本レビュー、読んでくれてありがとうございました。

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