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8月16日はThe 1975記念日

いやぁもうやってられんよ。期末レポートにテスト、それにインターンを終えて、気分転換がてらにリフティングでもやるかあなんて思ったら、開始5分でぎっくり腰になる始末。

そして追い討ちをかけるようにSUPERSONIC延期のお知らせ。ふざけんな。俺の夏を返してくれ。

もうやってられないなと思い、今腰にコルセット巻いた状態で寝ながら、amazonでタイガービール6本セット注文して、このnoteを書くに至っているわけよ。

今日の記事はThe 1975のサマソニ2019でのライブの感想をつらつらと書いていこうと思ってる。そうでもしないと今夏相次いだ各フェスの中止で溜まったフラストレーションを、自分の中で上手く消化出来ない気がしたから。そんなわけなんで皆さんに少々お付き合い願いたいわけなんですよ。

「このライブすげぇ」と俺が言ったから8月16日はThe 1975 記念日

革命前夜

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2019年の1月ぐらいにサマソニ公式から20周年を記念して、3日間開催であること、そしてヘッドライナーにはレッチリ、B'z、チェインスモーカーズが来ることがアナウンスされた。

この時点で俺はサマソニの若手バンドの育成傾向からして、今年間違いなくThe 1975は来るだろうと予想した

The 1975は10年代サマソニの秘蔵っ子であることは目に見えていた。デビューアルバムリリース前ながら13年に初出演、翌14年はマリンステージに昇格、2nd発売後の16年にはソニックステージのトリとしてレディオヘッドの裏に配置と、サマソニ運営から大事に育てられてきたのは明白だった。

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そして何よりも18年末に超名盤と名高い3rd「ネット上の人間関係についての調査」をリリースし、各所で賞賛を浴びている今、サマソニが呼ばない理由が見当たらなかった。

俺の予想は見事に的中する。ヘッドライナー発表から約1ヶ月ぐらい経った後に、第2弾発表でThe 1975の名前があった。

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しかも同じ日にはB'zがヘッドライナーとして君臨していた。これは俺の勝手な予想だが、サマソニ運営としてはミスチル地蔵の一件もあって、恐らくここでもB'zの固定ファン及び邦楽寄りの客層が大多数来場することを見越していたのかもしれない。

ここでThe 1975がサマソニという戦を制し、B'zファン含めた邦楽目当ての客層を取り込めたとしたら、日本での安定した人気とヘッドライナーを務められる集客力を手に入れることが出来るのではないかと、運営はこの勝負に賭けたのかもしれない。じゃなきゃ音楽性的にB'zに近いFOBをマリンではなくマウンテンに配置なんてことはしないはずだ。

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みたいな感じの考察をしながら、俺は来たる勝負の日を心待ちにした。そしてなるべく予備知識は入れず新鮮な気持ちで挑みたかったので、海外で配信されていたフェスはあまり見なかった。強いて言うならロラパルーザを見たくらいだ。

そして家でダラダラとフジロックのライブ配信、地元のロッキン2019最終日とフェスに向けた体力作りを入念に行い、俺は8月16日を迎えることとなる。

8月16日18時前

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前日の台風の影響か強めの台風が吹く中、俺は海浜幕張駅に着いた。この日は行きつけのサッカーユニフォームショップで買った99/00シーズンのマンチェスターユナイテッドのアウェーユニとアディダスのズボン、靴はウルトラブーストという出で立ちだ。

持論なのだがフェスは基本野外であるため、汗を掻くことと公共交通機関での移動を考えると、サッカーユニフォームは速乾性に優れているだけでなく、他のフェスファッションと比べて周りの目をあまり気にしなくて済むので、もっともフェスに適した服装だと勝手に考えている。

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あとアディダスのブースト機能が付いたスニーカー(ウルトラブーストやNMD)は歩き心地や足裏への負担が軽いのに加え、デザインも洒落ているのでオススメのスニーカーである。あと画像が連続でベッカムなのはただの偶然である。

サマソニに来たらまずやることは、ぼったくり価格に近いレッドブルを一杯喉に流し込むことだ。これで一気にやる気に満ち溢れた気になる。地獄の黙示録でロバートデュバルが「朝のナパーム旨すぎわろた」って言ってるのと同じで、俺も「朝のレッドブル旨いンゴデイアフタートゥモロー」ってほくそ笑むのだ。なんだこれ。

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とりあえず最初マリンでThe Strutsを見た後、メッセの方に行ってBiSHを見た。BiSHのライブはやばかったね。この日の邦楽系アクトで一番良かったまであるよ正直。特にアイナの声は唯一無二だと思った。

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その後はアイナとは違うタイプの唯一無二のボーカリストアレックベンヤミンを見た。この日のサマソニで唯一マイナスイオンで充満してたライブを見た後は、ノリでアレクサンドロスを見ることにした。ドロスは今回の強風の影響を最も受けてたってくらい、音が悪く感じた。

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その後も若き天才サムフェンダーの初々しいステージを見た。ペイルウェーブスの貫禄すら感じさせるステージは、もうメッセでは収まらないなと察すほど素晴らしいものだった。

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この時点で気づいたのは去年と比べて明らかに人が多いと思ったことだ。B'z地蔵のことなども考えて早めにマリンに行こうと思ったその時だった。明らかにトリの2つ前のWeezerの時点でマリンがパンパンの状態だった。これは今年のサマソニやべえなと。

Weezerのステージは圧巻だった。「Buddy Holly」で始まり、「Island In The Sun」「Africa」「Perfect Situation」と往年の名曲たちが連ねた後に、一大アンセム「Say It Ain't So」で締めるステージングは、最高以外の何物でも無かった。そしてリヴァース、日本語俺より上手いとも思った。さすがハーバード大。

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ここから俺は前を詰める。なんとしてでも次のステージだけは前の方で見たかった。最前とまでは行かないが、なんとかステージがはっきりと見えるとこまで行くことが出来た。転換の間俺は静かに待った。

18時5分 The 1975 開演

ステージ両脇のモニターが暗転する。そして俺がこの一年で最も聴きたかったあのフレーズが聴こえた。

GO DOWN

SOFT SOUND

あぁ、遂にこの時が来たのだと痛感した。淡々と鳴り響くSEに釣られ、会場全体のボルテージが上がる。マリンスタジアムはThe 1975という一つのエンターテイメントの中に没入し始めたのだ。

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そして4人が姿を現す。一際目を引くのはやはりマシューヒーリーその人だった。赤いズボンにプレイステーションのロゴがプリントされたキャップと上着を羽織った姿は余計目立った。本当のスターは服装から周りを惹きつけるんやなと痛感した。

ライブが始まった。一曲目は最新作からのオープニングナンバー「Give Yourself A Try」。ジョイディヴィジョンを彷彿とさせるこの曲は、スタジオ音源で感じられたミニマルさは減り、よりスタジアム向きの攻撃性を増していた。

素晴らしいライブは頭から最高に上がる曲ありきだが、やはり超名盤の一曲目というだけあって、会場の盛り上がり具合は半端なかった。

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そしてマシューがプレステのジャンパーを脱ぎ捨てると、そこに現れたのはライドの名盤「No Where」がプリントされたTシャツだ。相変わらず目が離せない男である。

UKロックの系譜がしっかり受け継がれてるんだなぁという郷愁に浸る隙も与えずに、極上のトロピカルナンバー「TOOTIMETOOTIMETOOTIME」へと流れていく。オートチューンがかった「Thank you」が最高にクールだ。

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続け様に2ndから「She's American」を演奏。ドロスの時に感じた音響の悪さはそこになく、アダムの爽やかなカッティングギターがはっきりと聴こえたのを覚えてる。そして何よりあの切ない曲調に呼応するかのように夕焼けが鮮やかなハイライトとなる。この日の彼ら、間違いなくお天道様を味方にしてた。

4曲目が入る前にマシューがお馴染みのウサギ帽とくたくたのリュックサックを背負う。マンチェスターからやってきた柄の悪いウサギは、タバコ片手に新作から生まれたアンセムを歌う。「Sinceity is Scary」だ。

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このジャジーでおしゃんてぃなトラックと、後ろのMVを再現したモニターの映像はこのバンドのスケールのデカさを感じさせる。この曲と次の「It's Not Living」の2曲によって会場は一気にピースフルな空間と化した。80's感満載のポップナンバーに、俺の体は自然と揺れた。「世の中興奮するものはいっぱいあるけど、一番興奮するのはIt's Not Livingのselling petrolのとこだね」ってサンドウィッチマン伊達が言ってないけど、この言葉に間違いはない。

I Like America & America Likes Me

だが享楽的な時間はあっけなく終わる。ポカリスウェットをチェイサーに、マシューは大吟醸を喉に流し込む。オートチューン越しのウィスパーボイスは明らかにさっきとは違う空気を醸し出していた。そしてマシューヒーリーが牙を剥き始める。



うぉぉぉおおおおおおおおおおおいいいぃぃぃ!!!



腹の底から飛び出したエモーショナルなオートチューンが、天空を切り裂いたような気がした。無機質なトラップビートに乗っかる、怒りの具現化ともいえるボーカリゼーションは、とてもじゃないが「Sincerity is Scary」「It's Not Living」を歌った人間と同じだと思えなかった。

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I Like America & America Likes Me」は「ネット上の人間関係についての調査」に収録されていた曲で、アメリカの銃規制について歌った曲だ。だが不思議なことにこのライブを見るまで、自分はあまりこの曲を気にかけてはいなかったのだ。悪くいうと普通に聴き流していたのである。

だがこの時の「I Like〜」を流し聴きすることはとても不可能に近かった。目に入る全てが激物すぎたのだ。モニターに映された強烈なメッセージ性を持ったリリック、トラップビートに合わせ踊るダンサー。

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なによりも空虚な笑い声を上げ、カメラに向かって怒鳴り、フラフラとステージ周辺をうろつき、そしてオーディエンスの差し伸べる手にキスをするマシューヒーリーの姿は、極限まで追い込まれた人間の強靭な生命力を感じさせる美しさすら纏っていた

それくらいその時のマシューヒーリーは切羽詰まっていたし、いつ死んでもおかしくない危うさがあった。この感覚はMTVアンプラグドのカートコバーン を見た時の感覚に近い。彼もいつ死んでもおかしくない空気感を纏っていたし、事実そのライブの数ヶ月後に彼は自ら命を絶った。

だがマシューヒーリーは目の前にいる。画面越しのカートの比じゃないレベルで、強烈なリアリティがあった。次に流れた名曲「Somebody Else」へと続く流れは完璧だった。完全にThe 1975はスタジアムを掌握し、皆生と死の狭間で踊るフロントマンに注目した。

夏で暑いはずなのに冷たさすら感じた会場に優しい夕暮れとアコギサウンドが包み込む。3rdを締めるアンセム「I Always Wanna Die (Sometimes)」だ。多くの人が今回のライブの感想に「死にたいのに生きたい」というフレーズを使っていたのを散見したが、俺もまさにそう思った。

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そしてこのライブで俺が一番聴きたかった曲が来た。「Love It If We Made It」である。我々世代のブルースとも言える現代社会の問題と怒りを、苛立ち混じりの声で歌う。振り上げた拳は、嘘偽りの無い怒りだった。鮮やかに照らされた照明の中で拳を掲げるマシューヒーリーのマジな感じに、俺はただ呆然とその光景を目の当たりにする以外何もできなかった。

Fuckin' Jump!!!

生と死の間で感情をぐちゃぐちゃにさせられた後、流れたのはあのシックなイントロだ。彼らの名を世に広めた出世作「Chocolate」だ。だが前4曲であんなエンターテイメントを見させられては、このポップナンバーですらヒリヒリする何かを感じさせられた。

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慣れない大吟醸のせいか二日酔いでフラフラのマシューヒーリーをあの場の人間は皆心配していたと思う。というかいつライブが終わってもおかしくないと、皆の頭によぎったはずだ。少なからずとも俺はよぎったよ?ねえ?

そしてシューゲイザーチックな強烈なギターがつんざく「Sex」が始まる。この時点でもうマシューヒーリーのHPは0よ、どうするの城之内!状態だった。

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命削ってライブやってるんだ!」と訴えるバンドマンは邦楽界隈のライブでよく見たことがある。海外のバンドでもそういうことを言う人はいる。嘘偽りの無い言葉なんだろうけど、この日のマシューヒーリーを見てしまっては他のバンドマンの言葉が嘘っぽく聞こえるようになってしまった。そこには生きるために歌う本物のロックスターの姿があった

曲の終盤力尽きてぶっ倒れるマシューを尻目に、「ROCK'N ROLL」という文字が映し出されかいじよ会場から歓声が上がる。だがそれに続き「IS DEAD」という文字が映し出されあぁーって声が上がる。しかも「GOD BLESS」によってだ。こんな痛快なこと言えるバンドがいただろうか?それがいたんだよ。その名は「THE 1975 」。

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少しの空白を開けて会場にピンクがかった紫の照明が包まれ始める。力尽きたマシューはしれっと蘇る。フラフラだけど。この素晴らしいステージの最後を飾るのはこの曲以外あり得なかった。「The Sound

会場のボルテージは最高潮でいつ爆発してもおかしくなかった。だがそこはロック大国イギリスが生んだ最新兵器、最高の爆発のさせ方を心得ていた。

マシューが煽る。お前らのジャンプが必要だ。準備はいいか?と。

1、2










1、2、Fuckin' Jump!!!!!!!!!!


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会場に大きなうねりが生じた。あの瞬間我々オーディエンスとThe 1975は永遠となったのだ。あまりにも美しい瞬間だった。

祭りのあと

そこからは混乱していたことは覚えている。一度新鮮な空気を吸いたくなってマリンスタジアムを出た。何が起こったのかイマイチ理解が出来ていなかった。ただ得体の知れない物凄い何かを見てしまったということだけだ。

気休めにTwitterを眺めるとトレンドにThe 1975の文字があった。どうやらYouTubeの配信越しでもヤバい空気はバリバリに伝わっていたことは理解できた。だけど俺は生で見てしまったのだ。まともでいれるわけがない。

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そこそこ楽しみにしてたシェリルリンのステージの記憶は皆無だ。抜け殻みたいな感じで見ていたんだと思う。そのあと吸い寄せられるように行ったB'zもウルトラソウルを見たとこで物足りなさを覚えて早々に切り上げてしまった。

(補足:実際前年にHINOTORIツアーを見た自分としては、The 1975関係無しにあの日のB'zは物足りなかった。多分バックバンドがこの年変わったのがでかいと思う。)

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それだけでなくマウンテンで途中からフォールアウトボーイですら、全く体に入ってこなかった。あんだけ往年のヒット曲をプレイしてたにも関わらず、あのライブを見てしまっては最早何もかもが空虚だった。

帰りの電車に揺られながら、一つの結論に辿り着いた。俺は伝説の現場の証人となったのだと。多分あのライブは03年のレディオヘッド同様、一生語り継がれるライブなのだと。

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そして俺にとってThe 1975はただの好きなバンドではなくなった。俺たちの時代に現れた代弁者であり、英雄なんだと。60年代の人がビートルズを支持したように、80年代の人がU2を支持したように、俺たちにはThe 1975がいる。例えロックは死んだと言われても、The 1975がいる。The 1975は俺にとって永遠となったのだ

それから1週間も経たないぐらいにThe 1975からささやかなプレゼントが届いた。

もう彼らは次を見据え始めてる。俺も次を見ることにした。俄然来たるべき「Notes On A Conditional Form」が楽しみになった。こうして俺はThe 1975に振り回される音楽人生が始まることとなったのだ。



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