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報道ステーションのWebCMを考える:子育てでよく言ってしまう「もう何やってるのよ」

子育てには休みはない。

毎日お腹が減るし、洗濯物も出るし、わがままを言うこともある。子どもはかわいいし、愛くるしいし、頬を擦り寄せてキャッキャ笑う時間は至福の時間。子育てが与えるアメとムチは時に涙が押し寄せるし、笑みを運んでくれる、何とも浮き沈みのある、けど素晴らしいときを過ごさせてもらっている。

しかし、目を離している隙に子どもが食卓でお茶をこぼすと、つい言ってしまう「もう何やってるのよ。お茶こぼさないように気をつけてって言ったじゃないのよ!」という言葉。子どもは落ち込んでいる。

ここのポイントは「目を離している」ときに起こったということ。
つまり、もしかしたら子どもは、お茶をこぼさないようにコップをテーブル奥に置こうとしたらこぼしたのかもしれない。
もしかしたら子どもはお茶をこぼさないようにお皿の位置を変えていたのかもしれない。

ここでのよりよい対応は、子どもとの対話。
何をしようとしていたのかを聞き取り、こぼしてしまった原因は何だったのかを共有すること。遊んでいたら叱られるかもしれないが、そうでなかったら叱る必要はないかもしれない。むしろ大人側がコップの置く位置に気をつければ防げたかもしれないと反省する必要があるかもしれない。

さて、報道ステーションのWebCMだが、女性蔑視であると批判が集中した。それを受けて報道ステーションのトップが謝罪をすると言うことが起こった。
よく考えてみよう。報道ステーションという歴史ある報道番組が制作したWebCMのコンセプトが女性蔑視だとは考えにくい。
「女性蔑視の視点をずっと持っているスタッフだからこんなCMになるんだ」というのは裏を取ったとは言えないし、その現場の人間を何人知っているのかと逆に投げたい。

批判するのは簡単で、ニュースにコメントをつけるのは自由だが、批判だけでは何も解決しない。「なぜ、あなたは批判したくなったのか」を説明し、どのようにすれば女性蔑視とは取られないCMにすることができたのか助言する必要があると思う。これこそ対話であり、意思疎通である。批判するだけは本当に簡単だ。

もしかしたら女性をターゲットに女性の視聴者を増やしたいから女性の出演者を絶対起用したかったのかもしれない。
もしかしたらコンセプトではセリフが多かったが、15秒や30秒の枠になり、削った結果、真の意味が伝わりづらくなり、曲解を生んだのかもしれない。

我々視聴者は結局できあがったものしか見られないから、その裏側で何を考えて制作にあたっていたのかは知らない。結果だけで判断したら真実は見えてこない。事実、制作陣に女性はいたし(出演者が女性)、コンセプトを知って制作に関わっていたわけで、一方的に批判をすることはそこの女性に対しても女性蔑視をする人間だと言っているものである。つまり、「女性蔑視をするのは男性だけだ」と思っていること自体が男性非難なのである。

「お茶をこぼした」という事実だけを切り取った場合と
「こぼれないようにコップの位置を動かそうとしたらお茶がこぼれてしまった」という裏側も含めたところを知った場合では、まったく感じ方は異なる。

<まとめ>

結果だけではなく過程を知ることで発信者と受信者の事実誤認が生じにくくなる。SNSやコメントが自由に、手軽にできるようになった時代だからこそ、しっかり調べたり、広く物事を想像した上で発信すべきである。

このようなことが頻発してくると「触らぬ神に祟りなし」のように誰もジェンダーに触れぬよう、女性を起用しなかったり表現を単純にして面白さがなくなったりするかもしれなくなる。


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