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Adoの歌ってみたアルバム

 例えば小説家が物語という表現媒体を用いて自身の心情や思い出を昇華するように。画家が無垢のキャンパスに風景の風や色や、温もりを描き出すように。格闘家がそれまでに培ったストイックさと熱情をリング上で爆発させるように。Adoの歌声はカラフルに彩られていて、もしこんな風に歌えたらどんなに楽しいだろうと思う。 

 Adoという才能が鳴り響いていると――なぜだか、それほど楽しいこともなかった僕の学生時代も救われていくような気がする。陰気で、理想の自分とはほど遠く、上手くいかない学生時代の心を救うのが音楽だった人間にとっては、その歌声は妄想していた自分の歌声で。誰かに届いて欲しいと夢想していた叫びが、Adoの歌声となって僕の元に届いている。ほかのミュージシャンの音楽でこんな風に思うことはない。唯一無二の才能なのに、親近感があって、それでいてやっぱり特別過ぎて遠い。どんなジャンルの音楽を奏でていても、「歌声」の存在だけで否応なしに心が動いてしまうからずるい。こんなの最強じゃないか。

 あるいは、こんな言い方は稚拙でありきたりかもしれないけれど、彼女は神様に選ばれた人間なんだと思う。あらゆる表情を魅せられ、圧倒され、その歌声に釘付けになった後で「夜明けと蛍」で締められると、もう何も言葉が出てこなくて不意に涙が出そうになる。それも、何度もこのアルバムをリピートした後にこんな感想が出てくるのだ。

 初めに聴いたときはただAdoの才能に痺れた。それからはお気に入りの曲だけでプレイリストを作って、日常の一部としてリピートした。そして改めてアルバムを全曲聴き直したいま、泣きそうになっている。この歌声がもっと若い頃に経験して、いまもまだ引き摺っている心の脆い部分に入り込んで鳴り響くから。もういっそ止めてしまいたいとさえ思う。あるいは、本当に泣きじゃくりたくて、強固に肥大化した自分の殻にますます閉じこもる。このまま音楽が鳴り止まなければいいのに、と思いながら。

追伸
「unravel」の歌唱力は異常です。何とかしてください。


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