ビジネスの上流という言葉が、苦手だ
苦手な言葉の一つに、「ビジネスの上流」というワードがある。
ビジネスプロセスに、上も下もない
ビジネスの上流とは、戦略を企画・立案したり、業務改善を行ったりという「頭を使う」一連の仕事を示す。対して下流とは、システム構築そのものであったり、決められたテーマで記事を書いたりといった、「実際に手を動かす部分」を意味する。
例えば…
上流=全体の方向性を考える、コンセプト開発や企画、ディレクションなど
下流=調査や執筆、資料作成やSNSのコンテンツ作成など
規模の大小を問わず、仕事は色々な人の力で出来上がっている。目の前のすべてのものは、どこかの誰かが頑張って手がけてくれた仕事のおかげで成り立っていると言っても、過言ではない。
そのなかで、仕事の一連の流れやプロセスを「上」「下」で切り分けることにどういった意味があるのか。また、「下流」と呼ばれる仕事を手がける人たちや組織・会社にとって、その呼び名は本当に好ましいのだろうか。
実態はともかくとして、上流というと「上流階級」「上流社会」のように、ヒエラルキーを意味するような印象を受ける。「私はビジネスの上流を手掛けられます」というと、なんだかやんわりと「下流の人にはできない、頭を使う仕事ができますよ」とアピールしているようにも聞こえてしまう(あくまで個人的な見解です)。
手を動かす人の仕事も、同じく尊い
まだ社会人になって5年ほどしか経っていないが、記者やライターとして働いてきて、思うことがある。
実際に手を動かす現場は、もっと高く評価されてよいはず
”実際にやってみること”と”考えるだけ”の間には、雲泥の差がある。もちろん会社やビジネスにとって戦略は大事だが、手足をつかって成果をつくる作業がなければ、道筋にそって歩むことは難しい。
戦略も戦術もクリエイティブな仕事も、最終的に世の中に届けるには、「作業」が必要になる。あれこれと経営会議で話をしていたり、頭のなかで絵空事を描いていたりするだけでは、決して世の中には届かない。
もっといってしまえば、会議資料や記事の初稿など、いわゆる「たたき台」を作る作業だって立派な仕事だ。何かをゼロから生み出すには、かなりの労力がかかる。ビジネスを上下ではなく、もっと横軸で水平的に考えるだけで、もっと気持ち良い関係が築けそうな気がしてくる。
私自身も手を動かす立場でいることもあって、「手を動かす仕事」に誇りをもっている。だからこそ「手を動かせる方」を尊敬している。事業が推進力をもって、戦略や戦術が実現されるのは、手を動かす人がいるおかげなのだ。
たたき台をたたく時に気をつけたいこと
編集の世界に身を追いていると、こうしたたたき台に対して、かなり辛辣な言葉を投げる人や、作り手に対してリスペクトがない姿勢の人を見かけることがある。もちろん、よりよいものを創り上げるためには、たたき台をたたくことは必要だ。
ただ、土台を作った人を想像し思いやり、感謝することができる人は、残念ながらあまり多くはない。それができない者同士の関わり合いでは、どうしても細かなルールや禁止事項ばかりが増えていって、どんどん窮屈になる。
相手の作業や仕事、そしてアウトプット、もっと言えば意見自体にも感謝することができる時にこそ、色々な人がもっと自由に楽しく働いたり、暮らしたりできるのだと、私は思う。
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