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悪いことは言わないから性的マイノリティはフェミニズムからは手を切れ

 性的マイノリティとは、マジョリティ(普通)とされている性とは違う性を持つ人のことである。ここでいう「普通」とは、身体の性と精神の性(性自認)が一致しており、なおかつ性的指向(どんな性別の人を好きになるか)が異性である人だ。フェミニズムでは女性だけでなく彼らの権利解放をも求めるが、そこには落とし穴があることを知っておく必要がある。


フェミニズムによって「排除」されるトランス女性

 詳細は上記のnoteにあるが、今一度説明しよう。

 トランス女性は自らの性自認は女性である。しかし身体の性が男性であるため性転換手術をしなければ(あるいはしたとしても)女子トイレや女湯に入ることができない。トランス女性はこれに対して「全ての女性(トランスも含む)の権利を求めるフェミニズム的にはこれは差別ではないか」と問題提起している。


 私の結論としては性自認というのは「他者の権利を侵害しない範囲で認められるべき」であり(これは権利全般にも言える)、申し訳ないがトランス女性の方々には譲歩して頂くのが最善ということだ。
 これはもちろん差別ではあるのだが、(トランスジェンダーの方を貶める意図はない)必要な差別であるとも言える。

 今回ここで問題にするのはフェミニストは明確にトランス女性を差別しているのにも関わらず、性的マイノリティの権利を守ると謳っていることだ。


BLはゲイに寄り添っているのか?

 ここでフェミニズム界隈でも時々出てくるBLについてに話を移そう。BL(ボーイズラブ)は、男同士の恋愛を描いた創作物であり、学生同士の純愛から性別の概念が現実とは違うオメガバースまで幅広いジャンルに渡っている。

 フェミニストの主張するところによると、BLを読むことでゲイへの理解を深められるのだという。

 フェミニストは「自分たちがゲイなどの性的マイノリティに寄り添っている」ことを理由「BL無罪」を掲げる。

 しかし、当のゲイにとっては迷惑な話である。自分たちのプライベートなことが、ポルノとして消費されているからだ。

 そもそもBLはLGBTへの寄り添いなどは全く考えていない

 こちらのnoteが詳しいが、(※批判する意図はないので削除しないで頂きたい)

BL作品を好んで読むというほどではないにしろ、私自身女性を一切介さないからこそ、女性としての役割を意識せずに鑑賞できる娯楽だと思っています。
 女性は身体の構造上、BLで言われる『受け』の役割を担うものだと一般的には考えられています。もちろん同性同士であればまた異なりますが、異性同士と考えると、どうしても女性は受け身にならざるをえません。BLにかんしては、女性がいないゆえに男性同士で完結する娯楽であり、男性同士であることゆえの葛藤も描かれている場合が多くあります。どちらかが同性を好きになることに抵抗がある場合も多く、そういう葛藤を乗り越えて結ばれるカタルシスも、魅力の一つではあると思われます。

 BLは女性を介さないことで、性的役割から逃れることができる。それ自体は別に悪いことでも何でもない。ここでBLの性的役割を見てみよう。

 オメガバースの例を見て頂けると分かりやすいと思うが、オメガバースでは男性でも妊娠することができ(妊娠できる性を「Ω」と呼ぶ)、その特徴からΩ性の人は社会的に差別されていたり、時には性犯罪被害に遭ったりする。オメガバースを「気持ち悪い」などと批判されようものなら(筆者はあまり好きなジャンルではないしむしろ気持ち悪いと思うが)恐らくはフェミニストたちがこれみよがしに「これが男が女にやってきたことだ」などと宣うであろう。

 だが現実といくつか違う点もある。実はΩ性には発情期というものがあり、月に1回か(頻度の詳細は忘れてしまったが)発情期が来る。このときΩ性は体調が著しく悪くなり、またα性(Ω性を妊娠させられる性別)を惹きつけるフェロモンを発する。フェロモンに関してはともかく、発情期は女性の月経を暗喩したものではないかというのが個人的な見解であるが。

 つまり、BLは性的役割を男性のみに負わせる創作物である。何度も言うが、性的役割から逃れたいと思うことそのものは別に悪いことではない。問題は「自分がBLを好きなのはゲイの方を理解しているからだ」などと自分を正当化することだ。

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男は最初から少し嫌われ女は最初から少し好かれている

 こちらのnoteでは「女性はレズこそが正常」と述べられている。

「女性もまた女性に性的欲望を感じているのだから、本来はレズが正常」という発想は、ある意味では正しい。しかしさらにその「女性の女性への性的欲望」は、それに先行する自己愛の一種であると考えた方が理解しやすい。だから女性は自己愛、同性愛的要素を温存させつつ、「異性愛」、つまり「男性に自らを欲望させる」段階へとステップアップしていくのだと、一応、そうした見方ができるわけです。

 異性愛というものは、自己愛の一種として本来であればレズであった女性が「異性に自己愛を投影する」ということだ。
 「男は最初から少し嫌われ女は最初から少し好かれている」という言葉を聞いたことがないだろうか。男は女がいないと次世代を作れないので女を求めるが、女は男に妊娠させられると多大なコストがかかるので男を忌避する。逆に、男は同じ男に対しては女を奪い合うライバルとなるため男と闘争するが、女は自分を妊娠させる心配がないので女は嫌いではない。これを学術的に述べたのがフェミニズムである。


フェミニズムが性的マイノリティに寄り添う”フリ”をする理由

 こう考えると、フェミニストがトランス女性もゲイも本当は嫌っていることが分かるかと思う。フェミニズム上では女こそが至高であり、男は「下品で気持ち悪い、汚らわしい」存在なのだ。
 この男性蔑視は、フェミニストが主張するような「かつて存在した女性蔑視」とは違う。必要に駆られてできた規範としての蔑視ではなく、完全にお気持ちから来る蔑視だ。

 それなのになぜフェミニストたちは性的マイノリティの権利を求めるのか。それは「崇高な」レズを認めてほしい(が、レズだけだと「建前上の」男女平等に反するから)からというのもあるのかもしれないが、それ以上に支持者(≒信者)を増やしたいからであろう。
 現代の日本は民主主義国家であるが、仮に民主主義国家でなくとも、数はそのまま力となる。つまり、フェミニストが性的マイノリティの権利を求めるのは、単に数を増やしたいからだ。フェミニストの言う「多様性」はあくまで自分たちの認めるものでしかない。

 こちらでも述べたが、フェミニストは自分に都合の良いものに対しては「多様性」を振りかざし、自分に不都合なものに対しては容赦なく排除する。

 これで分かったであろう、性的マイノリティの方々よ。フェミニストはあなた方の権利などこれっぽっちも考えてはいない。フェミニズムはあなたの味方には絶対にならない。それどころか、仮にあなたが男性であったらゲイであろうとトランス女性であろうと、すなわち女性に対して性欲を抱かない人であろうと、女性へのケアを要求する


フェミニズムの横暴は決して許されてはならない。


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