見出し画像

女性差別など存在しない、あったのは区別。


 古代から令和の今に至るまで、「女性差別」などこの国に存在したことがない。あったのはただの区別である。戦争と飢え死にするほどの貧困に苦しめられていた時代には、男女共に非常に理不尽で抑圧的な状況を生きざるを得なかった。そこにあったのは、誰のせいとも言えない時代の限界ゆえの理不尽と抑圧でしかないのに、フェミニストたちはそれを女性差別なるものに転化し、何事かを企んでいるのである。


             。。。。。


 女たちは男社会に虐げられ、抑圧され差別されて苦しみ続けてきました


 フェミニストたちの言う常套句だ。そしてこれは今の日本の女性たちのみならず、男たちまでもが信じ込んでしまっている、歴史的な女性観だろう。バカげているというしかない。はっきり言ってこんなものは、悪意に満ちたプロパガンダ以外の何物でもない。ある種の女性が嫌いな人間の悪口を大げさに吹聴し、善良な被害者のように装う、これは日常生活でしばしば見る光景だ。


 嫌いな人間=絶対悪

 女である自分=善良な被害者


 こういう図式を描くのは、女性なら誰でもいくらかはあるものなのだが、フェミニストたちはその女性たちに共通している傾向に付け込み、人々を洗脳しようとしているのである。


             。。。。。


 「女たちは3歩下がって夫を立て、従順にふるまうように強要されていた」


 これももちろんインチキなのだが、まずこのインチキから論破していこう。まず、女性たちは、これとまったく同じことを男たちにしていた。

例えば武家の女性たちは、中間(使用人)の男を下の名前で呼び捨てにし、外出の際には荷物持ちにし、3歩下がらせて従えて歩いていた。軽々しく話しかけれることすら憚れただろう。商店の女将も、手代や丁稚の男たちにこれと同じことをしていた。また貴族の女性たちは、自分の子供たちに母上またはお母様と呼ばせ、敬語で話すことを強要していた。


 フェミニストの言う、男が女にしていた上から目線の抑圧的な振る舞いを、女たち自身も身分が下の男たちに、そっくりそのまま同じことをしていたわけだ。さらに言えば男たちだって、町民の男が一歩町に出て武家の女性と出くわしたら、立ち止まって目礼ぐらいはしなければいけなかったし、それが御三家ぐらいの奥方様になると、土下座すらしなければならなかった。

 

 男たちだって身分が上の女性たちに対し、土下座まで強要させられていたわけだ。当時は身分制、建前上の身分の上下をわきまえるということは、絶対の掟だった。つまりこういった振る舞いは身分制ゆえの上下関係からくるもので、男から女への抑圧というのには当たらない。


 そして、当時は家族を養う義務と共同体を守る義務という、2大義務を男たちが負わされていたから、男の方が身分が上で、女たちは形式上男を立てなければならなかった、というだけだ。


 しかしその女たちだって、一歩家の中に入ってしまえば夫にズケズケと物を言っていたりしていたはずなのだ。女たちにとって夫と自分の子供というのは、世界で一番モノの言いやすい存在で、逆に女集団のボスというのがこの世で一番恐ろしい存在のはずだ。ということは女集団のボス、お局様タイプの女性たちとの関係にこそ、理不尽と恐怖が存在し、自分の夫との関係にはそういう非人間的な要素はさほどない、ということなのだ。


 なのに、なぜかフェミニストたちにこう言われると、女性たち自身もかつては女たちは夫に虐げられていたのだと、簡単に思い込んでしまう。そしてそう思わせているのが、まさにお局様タイプそのものといったフェミニストたち、というのは興味深い。


             。。。。。


「女たちは家事と育児、そして夫と義両親の為に尽くし、人生を他人に奉仕することを男社会によって強要されてきた」


 どこまでいっても昔の女性たちの人生は、フェミニストたちによって真っ黒に塗り潰されてしまっている。こういったこともまた、男と女はお互い様だ。男たちは妻子を養う義務と、国防の義務を強制的に負わされてきた。経済力と命という、人間にとってほとんど存在のすべてを他者に捧げることを強制されていたわけだ。考えてみれば凄いことで、また異常なことでもある。


 じっさい昭和までは、結婚していない男は半人前呼ばわりされていたし、稼ぎの少ない男は甲斐性無しとバカにされていた。昭和では、男は係長ですら負け犬のような風潮すらあった。戦前では男が戦争に行きたくないなんて泣きごとを言ったら、「腰抜け!」、「臆病者!」だのと罵声を浴びせられた。女たちが、罵声を浴びせたのだ。


 「子供を育て、夫と義両親に尽くす義務」

 「家族を養う義務と国防の義務」

  どちらが重いだろうか?

 

 どう考えても男の方がつらい。しかし女性たちには経済的に自立ができず、自由が無いという致命的な苦しさがある。これを考慮すると、男女ともに同じくらいつらい、ということになるのではないだろうか?


 男にはそれなりの自由があるが、命をとられるほどの格別な責任の重さがある。女には男ほどの責任の重さは無いが、自由が無いという独特のしんどさがある。お互い様だ。冒頭に述べたように、戦争と飢え死にするほどの貧困に苦しめられていた時代には、男女ともに理不尽で抑圧的な人生を生きざるを得なかった、というだけなのだ。


だから少なくとも昭和くらいまでは、男と女はお互い様といった感じで認め合い、男は女を大切にし、お返しに女は男を尊敬する、といったように男女の間には穏やかな調和があった。今の若者にはちょっと想像がつかないと思うが、昔は男と女というのは今とは比べられないくらい、楽しく、気楽にやっていたのだ。


 しかし、ここにフェミニズムが浸透しだした。フェミニズムの本質は弱者利権。女たちの男に対する嫉妬と憎悪を煽り、女たちに被害者意識を、男たちに罪悪感を刷り込み、男女対立をひきおこす思想である。こうやって女は善良な被害者、男は悪意ある加害者という構図を描かなければ、フェミニストたちは男社会から利権を簒奪することができない。どこまで行っても利権屋連中のプロパガンダにすぎない。


 

男と女のあいだに憎悪と対立を生み出す思想は、誰が何と言おうがカルトだ。フェミニズムがすべてカルトと言っているのではない。フェミニズムをカルト的に運用している悪人どもがいるのだ。女性差別なるものはこのカルトの蔓延により、ただ単に男女の区別に過ぎなかったものが、悪意ある差別へとすり替えられた、というだけのことなのだ。



 


 


   


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?