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読みに来てくださったあなたへ


 あなたは、何に引かれてここまで来てくれたのでしょう。
 今はおでかけ先ですか、お家でしょうか。
 リラックスできていますか、片手間ですか。

 書き手の私には分かりようのないこと。読んでくださるあなたへすべて放りなげて、私はこんなふうに自分が遊んで並べた文字をここに置いています。


 ひとつ、試しに記事を書いてみて。正直、なるほど、と。なんだか悶々としました。

 あんまりしんどい言葉を並べるのは自分が苦しいなぁと思いつつ、けれど結局触れてゆくのはそれら『痛み』を伴う事柄になる。それは、ここの目的上避けられない。
 ならば、下手に優しげな言葉を撒き散らしてもダメだなあと。
 そう思って、なんともハードめなタグばかり並べたアカウントがこちらになります。

 あまり整理整頓されていないものもそのままお出ししようかなと思います。私を取り巻く状況が刻々と変化が目まぐるしく、言葉の色褪せるスピードが尋常ないのでこんなふうになってしまう。
 チグハグに見えたとしても、点と点で並べていった時に浮かび上がるもの、そういったものも、それはそれで信頼度は高いでしょう。

 怖い話ばかりするつもりもないのですけれど、要するに、性虐待由来の解離を持って生きていくってこんな感じ、今私の状況はこのくらいだよ。とか、こういう工夫が本当に命を繋いでるよおススメ!とか、暴力装置になっちゃう家庭ってこういう構造にあるよね、とかを言語化していこうと思っています、なので、もしここでドキドキしはじめた人がいたら引き返して大丈夫です。
 トリガーワードになりそうな言葉はなるべく使わない(私がしんどくてあまり使えない)と思いますが、それが余計に、危険を感じさせることもあるかもしれない。

 
 私は、ただ文字の羅列をここに残しているつもりはないのです。何かあなたを引っ掻きたくて書いている。

 けれどそうやって、あなたの内側の、あなた自身に望まれていないところに、触れてしまうかもしれない。それが良いように動くか、つらいことになるかは、引っ掻きたいと言いながらなんとも無責任な事に、私には一切関わることが叶わない。
 
 ですから…あなた自身が感じる、こわいな、いやだな、をどうか大切にしてください。そしてキツイだな、ダメだなと思ったら、けして無理をしないでください。私はあなたのやわらかな、自分をまもる膜、感覚、のような…(知っています、それが一番難しいのですよね、けれど。)あなたのその『感じる』ちからを信じて、信じるより他にすべがなくて、つまりあなたのそのちからに頼って、ここに、これらの言葉を置いておきます。
 
 あなたのその感覚が頼りです。きっと、そういうことをずっと繰り返し繰り返し、書いていくアカウントです。
 どうぞ、よろしくお願いします。

 さて、あらためまして。
 あしてあとれと申します。
 あしてあとれというのは広い意味で『場』や『主体』として冠している名詞でして、なかのひとの私は「ひがさや」と名乗っております。これは実名ではなくて活動名です。と言いますのは。

 この世は広いようで狭く、私がここで扱おうとしている性暴力や性虐待というのはこの社会において『恥』の感覚と結びつきやすい事柄です。私は、私の実名を晒せば繋がっていけてしまう自分の身内の感じる『恥』に、責任を負い切れない。けれどだからといって、自分が、送り届けたいメッセージを誰にも言えぬままにしておくのも違う気がする。という葛藤をへて、活動名というなんか…芸能人的な、源氏名的な、そういうのを持つことにしました。

 名前なんて幾つあっても良いものじゃないかしら、街を歩く猫のように。そんな気分でつけた名前です。この名前のおかげで、びっくりするくらい、自由になりました。だから、実名ではありませんが大切な響きです。あなたにお披露目できたことがうれしい。どうぞお見知りおきください。ひがさん、でも、さやさん、でも、ひがさやさん、でも。呼ばれれば応えます。お好みでどうぞ。


 性虐待、性暴力と言葉を並べておりますが、ここで、とりあげてゆくのはひとまず、ひがさや個人の体験談です。

 ベースとなる概要を説明しておきますと、恐らく10歳当時、私は実父から性暴力を受けています。その後どのくらいの頻度で、とかどの程度の行為を、といった具体的な情報はありません。
 どこにもありません。
 記憶が無いからです。

 では何を根拠に?と思う方がいらっしゃるでしょうか。
 性虐待について馴染みのない方のために少し補足しておくと、分かりやすい情報的記憶としての情報はない代わりに、身体的記憶としては残っています。
 それは、パズルの、欠けているピースの絵柄は見ることができなくても周りにあるピースからある程度の想定、そして形の特定は叶うのに似て、少なくとも私個人が「性虐待サバイバー」であると自覚を持つのには充分な状況として、私の現実に横たわっています。
 で、それを事細かに書くのはここの目的ではないので省きます。だってただの個人的なnoteだもーん。

 私が、『性虐待を受けたのだ』という自覚を持てのたは、二十三歳になってから。被害を受けてから、実に十三年という時間が流れていました。
 それまでの期間、私は身体的な不便さ…解離性障害という一言にまとめてしまえるものですが…それらを抱えながら、その理由が分からずに随分としんどいところにいました。

 どちらかというと大変なのはその解離の方でした。人生を、生きることを、放棄したくなる程度には。いや私が今、こんなふうに雑に言い放ってしまえるのは、私にはどうしたって性虐待その瞬間の当事者性が薄いからです。当事者だった『私』はあの夜に死んでしまった。
 私は生きているけれど、あの夜に『私』が死んだこともまた、私にとっては事実です。

 ですから、ここではとりあえず、解離を伴いながら…ちょっとあまりにも殺伐としすぎる時には解離状態のことを「解離さん」などと妖怪ぽく呼びかけたりしながら…どうやって生き延びてきたか、書いたり書かなかったりしようかなと思っています。
 
 (なお、なかのひと、ひがさやはもうちょっとのんびりとひがさや名義のnoteで平和な、愛するものとか愛してくれるものとかについて書いています。なんか棲み分けがぼんやりしていますが、だんだんちゃんとしてくる…はず。)

 とりあえず手はじめに、私を生かしてくれている宝物、それらを道具箱からひとつずつ取りだしていくことにしました。私が回復してきたなと思える時に、手の中にあったものたちのことを。
 『回復』とはなんなのか、私もあまり分かっていませんが、優しさを前提にしてしか始められない。そう気がついたので。

 あしてあとれがお届けしたいのは、「明日の話」。
 この夜の向こう側に差し迫っていて、時々優しく時々怖い、「明日」。けれど言葉にできたらきっと、明日に何を見るか…選べるようになるはず、選べるようになりたくて言葉を手繰る。
 そういうお話をお届けできるように、やってみます。えへ。


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