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めぐりめぐるタンブンと優しい気持ち

タイであったうれしいことは、限りなくあるけれど、もし今丁寧に、ていねいに、一つずつ思い出していくならば、そのなかのひとつ、タンブンを思い出す。

ある日、バスに乗ったときのこと。
バスに乗り込み、席について、財布からお金を出しておこうと思って、財布のなかを見たら、お金がない。1バーツもないのである。

僕は青ざめ、かばんのなかにお金が入ってないか、慌てて探す。周りに座っているタイ人も、慌ててかばんの中を探る僕に気づいている。

どこにもお金がなくて、あきらめて、バスの乗務員に事情を説明する。拙いタイ語で「お金を持たずにバスに乗ってしまった。申し訳ないけれど、次の停留所で降ろしてもらえませんか」と。

それを聞いていたタイ人の乗客が、僕に「これを使いなさい」とお金を差し出してくれる。僕はもちろん「ありがとう。でも大丈夫です」と遠慮する。それでも「いいから使いなさい」とお金を差し出す手を引かない。

僕は感謝の気持ちでいっぱいになり、「ありがとうございます」と言って受け取り、連絡先を聞く。しかし教えてはくれず、「気にしなくていい」と言う。僕は申し訳なさでいっぱいになる。

タイ人のやさしいところは、困っている人にすぐに気付いて、迷いなく気にかけて、躊躇なく助けてくれるところだ。

何度助けられただろうと思う。そして僕はそういうことがあるたびに何か恩返しをしたいと思って、返せなかったそのぶんのお金を、他のなにかに寄付していた。

そうやって、困っていた人から困っている人へ、優しさが乗ったお金がめぐりめぐって、タイができあがっている。

タイに生きるということは、そのサイクルの一員になるということ。だれかに優しい気持ちもらったぶん、だれかに優しい気持ちをあげる。その循環のなかに身を置くということ。

そうやって生かされ、生かし、一人では生きていけるはずのない世界を知る。タイ人のタンブンが教えてくれたことは、こういうことだと思っている。

2020年6月15日

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