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「病気である自分」というアイデンティティ

私はいわゆる「精神疾患」で「当事者」だ。数年前から気づいていたけれど「病気である自分」にアイデンティティを持ってしまっている。「しまっている」という言い方をするのは、そう在る自分がまずいと思っているから。

ある本を読んでそのアイデンティティは核心に変わったし そのアイデンティティが自分を助けてもいるし、ある種苦しめている根幹なのかもしれないと思った。

当事者意識という言葉があるが、私には心の奥に強くそういう意識がある。人間は何かしらの当事者だが、私はいわゆる「精神疾患」のさらにいうと「〇〇(病名)」の当事者になるだろう。それは、カッコがきの、ひとつの枠組みの当事者なのであって、同じ病気の人でも他人なので、分かり合えないだろうし、当事者同士の方が分かり合えているようですれ違う事もあると思う。(これは私が経験した事なので、予想でしかない)

発作が起きると、どこかが痛いと、苦しいはずなのに心のどこかで安心してしまっている事を自覚している。病気である自分が完全にアイデンティティを持ってしまっているように思う。病気である自分がいるから、心の平静を保っていられるというか、不安定な事で安定しているというか、何とも奇妙な状態で、でもそれが自分にとっては普通の事として生きているように思う。

今まで10年以上、病名という枠組みは違えど「精神疾患」とか「生きづらさ」とか「トラウマ」とか常々、息苦しい中で生きてしまったので、今更そうではない自分(=苦しくない自分、病気ではない自分)に慣れるわけもなく。ダラダラ病気とお友達になってしまっているのではないだろうか。

これは本当にまずい。自分が一番なりたくないタイプになっている。だけど、いざ変えようとしても早々に変えられない。(変えたくないという自分がいる事も自覚している)

でも、まずいと思える自分がいる事は本当に良かったと思う。当事者である事にコンプレックスを抱いて隠して生きてきた事もあったし、当事者の人たちが声を大にして「権利だ!」という空気に私は混ざれないと思って通行人Aとして静かにしていた事もあった。(というかそういう気力がない。うつうつとしている時は、全てが雑音になっていた)

だけど、まずいまずいと思って無理矢理ひきはがそうとしても駄目だと思う。お友達になってしまっているからには、それ相応の心構えで別れを告げないといけない。そもそも、何故、アイデンティティを持ってしまっているかというのは病気によって助けられてしまっているからだ。

それでもいいんじゃないの?という人もいるかもしれないけれど(それはそれでいいと思う)私は、この助けられてしまっている構図を打破しなければ、いつまでもまずいなぁ、と思う。

病気にならなくても、人は休んでいいし、きつかったら「きつい」といってもいいし、妥協してもいいし、諦めてもいい。自分にそう言いたい。完璧なんてないよ、と今までどれだけの人に言われたか。それでも自分の性格はなかなか沁みついて離れないもので「完璧主義」が離れない。それは、幼少期のトラウマ?からくるものだという事も自覚している。

だけど、トラウマは過去の事であって今ではない。というのは気休めで、やはりトラウマはトラウマという事だけあって、脳内をかき乱すし、いまだに涙が溢れてくる。10年以上たった今も生傷のままだ。人は簡単に忘れたり、変わったりしない、と私は思う。

病気である自分がアイデンティティを持ってしまっている事、自体が病気な気もするし。背景とか、原因とか、じゃあどうするかという根拠ある治療とか、何であっても私は医者ではないから、そこは医者に任せて、自分に出来るのは、とても単純な事だと思う。

とにかく自分に素直になる事だ。休みたいと思えば休めばいいし、アイデンティティを持ってしまっている事も素直に自覚すればいい。反発してしまえばさらに依存になる気がする。素直に「まぁ、今はそうだな」と思う事にする。「今はそうだな」というのは「未来はそうじゃないかもしれない」というニュアンスを含めている。今に生きるというとカッコイイけれど、本当にその言葉は大切だと思う。

「今」に焦点を当てて生きてみる。アイデンティティを持ってしまっている事に嫌気がさしている自分、それでも変えようとしている自分、それが正しい事なのか?迷っている自分、そんな事より眠たくなってきた…と思う自分… いろんな自分を素直に受け入れて、とりあえずは「今」を息を吸っては吐いてを繰り返して、目を閉じる。

こうやって言葉にしていると、アイデンティティをもてているだけ、素晴らしいじゃない!という意味のないポジティブ気分になる事も出来る。明日の朝にこの文章を読んで、意味不明だなぁと思うのは予想がつくけれど、名前もしらない誰かに向けているわけではない、明日の自分につらつらとかいているのだから。駄文でもいい。

うまく書こうとすればするほど気持ちの悪い文章になる。多分今もそうだけど。いいんだこれで。きっとこれでいい。明日の朝ごはんは何かあったかい物が食べたい。テーマと話がそれてきた。それでもいい。それが自分だと思える、ような。アイデンティティってなんだろう。

病気である自分は、もうそろそろ旅立つ時だ。

10年以上、長い付き合いだったお友達とも、もうお別れのような気がしている。さようなら。清々しい「さようなら」ができますように。それがこの病気からの本当の本当の卒業だ。

おやすみなさい。