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愛と依存は似てる
義父母、実母、そして自分と我が子
いろんな方向から見た
愛情と依存の考察
急に入院になってしまったお義父さんから
感じたことをお話しています
(もしも癌になったら…の話も)
昭和といえば…
三つ指ついて「お帰りなさい」
「お風呂にします?」「それともお食事?」「それとも・・・」
「お互いが欠けては生きていけない」って幸せなの?
そういう時代を生きた義父母
「私がいないと生きていけない」夫に苦労していながらも
実は「求められること・必要とされること」が
生きがいになってはいないだろうか
いなくなってもどうにかなる
遺されたものが自立出来ることも愛情
なんでもしてあげることを
愛情だと勘違いしてたかも
「いなくてもいい=存在価値の否定」
ではないんです!!!!!!
声を大にして言います
存在価値を見誤るとお互いしんどくなります
そう、、共依存
どうして必要なのか?
いなくても全然困らないけど
それでも一緒にいたい理由
それが一番大事なものです
結婚した理由も同じ
自分の条件にぴったりだった!よりも
「口で説明できないけど大切な何か」
の方が断然宝物だと感じます
誰かのためにしていることが
実は自分のためなんじゃないの?
愛と依存は似てるなぁって思ったことを書きました
弱いからこそ支え合う
それが人間なのかもしれない
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