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前日譚①:『ニート同然だった僕の生活のはなし』 ー和田アキ子と、あり余る時間ー

※ですます、の文体が苦手なので、だである、の文体で描かせていただく。
しかし決して傲慢な態度を取りたいのではなく、心の中は読んで下さる方々への敬意に溢れていることは断っておきたい。
差し支えなければ、読者諸君にて丁寧語に翻訳して読み進めて頂きたい。

肩書きを求めて三千里

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僕は何者でもない。
…決して哲学を語りたい訳ではなく、本当に何者でもないのだ。
「移動本屋を始めようとしている人」以外に、これだ!と言える肩書きが、ない。

ー遡ること2年半前。
脱サラして書籍ブログの収入だけで生活するようになった。
時間が出来たので、脚本の勉強を本格的に始めた。脚本家になりたかった(今でも)。
この間、日々の仕事と言えるようなことは特にしていなかった。

だから僕は、脚本家志望の男であり、書籍系ブロガーであり、ニートと言えばまあそうですね、とこんな具合である。
どの肩書きも、中途半端で好きになれなかった。
今どきブロガーと名乗ることはなんだか恥ずかしいような気がしたし、
なれてもいない職業に「志望」と付けて、己の肩書きとする図太さも持ち合わせていなかった。
ニートに至っては、普通に嫌だ。

結局「自分探し中」とするほか、妥協点が見当たらなかった。
ならばインドに行くべきであったのだろうが、僕は元来「自分を探してインドに行く人」を笑ってきた人間である。
今さら過去の自分が笑ってきたことを平然とできるほど、僕は器用ではない。
プライドだけは一人前なのだ。

肩書き、肩書き、うるせえよ。肩書きなんか、無くたって生きていけるだろ。
…と思う方もいるだろう。たしかに、その通りである。
肩書きは、無くても生きていける。
しかし、肩書きが無いと不安になるのも、また事実である。
自分の輪郭がぼんやりとしていると、何をするにも自信がないのだ。


「君は、何をされている方なの?」

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この2年半の間、僕は会うひと会うひと皆に、
「タケダは、何をされてる方なの?」と聞かれてきた。
皆の中の和田アキ子が、何者でもない僕という格好のチャンスに喜ぶ。
一方僕にとって、この質問が何より苦しかった。
相手にこれといった意図がないことは重々承知している。
普通に会話のジャブとして打っているだけで、僕にそんなに興味が無いこともちゃんと分かっている。
しかし、その質問にハッキリと答えられる肩書きを持ち合わせていない自分を、その問い掛けのたびに思い知らされることが苦しかった。

自分は何者なんだろう。
何者になりたいんだろう。
悩むための時間だけは、無限にあった。

どれだけ自分が拒絶しようと、生活の実態は「ニート」という他なかった。
完全なる週休7日制(社保完備)であり、24時間 365日 年中無休で休んでいる。
あれほど好きだった3連休も、もはやその存在すら気付かないほど。
『ザ・ノンフィクション』を観て、今日が日曜日であることを悟るていたらく。
番組よ、今度は僕に密着するといい。底辺をお見せできるだろう。


散歩マスターになった僕

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「時間がある」ということは良いことである。
しかし、過ぎたるは及ばざるがなんとかと孔子がのたまっていたが、まさに。
「時間がありすぎる」というのは考えものなのだ。

僕は、画期的なアイディアを思いつくために散歩をしては、ただ心地よい疲れを得て帰ってくるだけの生活を送っていた。
なんのアウトプットがなくたって、少し身体が疲れを感じることが出来ていれば、何か充実した気分になれるから便利だ。
しっかり散歩すると、8時間は眠れる。8時間しっかり眠れれば、翌日もよく歩ける!
そうやってごまかしごまかしで、あり余る時間をやり過ごしてきたのだが、工夫したところで尚、あり余ってやがる時間。

となるとあとは、何も生み出していない自分に対して悩む、ということしかすることがない。
SNSを開けば、やれ新しい会社にジョインだの、アイコンを子供の顔に変更しましただの、同世代の皆々のご活躍・ご報告が眩しい。
それに比べて自分はなんだ。
知らない街を散歩しては、この駅とあの駅は意外と近い、という無駄な知識ばかりが増えている。
誰よりも歩いているはずなのに、誰よりも立ち止まっている感覚があった。
人生が停滞している、と感じた。きっと、軽度の鬱だったと思う。
悩みの8割は「暇」から来るものらしいが、全く同意である。
僕は「時間に殺される」とさえ思ったのだ。


悩みを打ち明けるか、さらに悩む

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そしてnoteに描いておきながらアレなのだが、この「あり余る時間」に関する悩みは、理解されにくい。
会社で忙殺されている人からすると、ただただ羨ましいと言われるだけ。
ともすれば「嫌味」のように受け取られてしまう可能性だってある。
でも僕はむしろ、忙しくしたいと思っていた。
日々の業務に追われている友達が、心の底から羨ましかった。
肩で電話を挟みながら、エクセル表を印刷に適した規格に直しながら、部署間の板挟みに合いながら、自分が組織に必要とされていることを感じたかった。「俺がいないと回らないんだよね」と嘆くフリをした自慢の1つくらい言いたかった。

そんな会社員生活を自ら捨てたくせに、僕はなぜそれが苦しいと言っているのだろう。
皆が僕に対して思っていることは、やっぱり僕も僕に対して思ってしまう。

僕がこのあり余る時間の海に溺れないためには(急に海に例える気まぐれ)、何か自分がやりたいことに邁進する必要があった。
もちろん脚本のハガキ職人は続けながら、ライフワークとして僕らしい仕事を見つけようと思っていた。
昔から興味は広い方である。考え始めると、その可能性に一通りワクワクし、そしてきっと飽きるだろうと冷めた。
僕が他に好きなものって、なんだったっけ?わりと自分の原点から考えはじめたのが、2020年秋ごろ。
好きなことを仕事にしている諸先輩方に話しを聞きに行きがてら、ご飯を奢ってもらう日々が続いた。財布を出す素振りが上手くなった。

気付けば半年が経ち、季節は春になっていた。
そんな最中、偶然見つけたのが「移動本屋」だった。

移動本屋…
本屋…
本屋!

僕はかつての夢であった「本屋を営む計画」を思い出した。

《前日譚②へ続く…👇》


※写真引用:
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im4252412

※補足:
若かりし頃の武田が立ち上げた書籍ブログ
https://www.omaeha-warauna.com/

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