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保健の授業がどうしようもなく苦手だったアセクシュアルの反省と願い

保健の授業が苦手だった。

もうどうしようもなく恥ずかしくて、背筋を伸ばして授業を聞くことができなかった。

私は机に突っ伏して、でも顔だけ前を向いて、

「寝てるわけじゃないんだよ。授業を受ける意思はあるんだよ。」って薄目を開けて主張していた。(主張しているつもりだった。)先生が出す画像とか映像を直視できなかったから薄目だったわけだけど、前から見たら怖かったと思う。ごめんね、先生。

私の学校の保健の授業はかなり生物学チックで、出産経験のある若い女性の先生が淡々と話すだけだったから、保健の授業としては難易度1だった思うんだけど、それでも私には困難だった。

もうどうしようもなく恥ずかしくて、内容なんて頭に入ってこなかった

保健のテストは多分耳を真っ赤にして問いていたと思う。

「恥ずかしいことじゃないのに」自分に言い聞かせていたけれど、どうにもだめだった

大切なことだって分かっていた。だから、沢山勉強したはずなのに、テストの結果は散々だった。

卒業して真っ先に保健の教科書を捨てた。

あの本があるっていうだけで、なんだかざわざわした気持ちになっていたから、すっきりとした。

あの本に書いてあったことは、覚えていない。

数年経った今、自分が保健の授業が苦手だった話を思い出したのには3つきっかけがある。


1つめ。

「ああ、ちゃんと学んでたら、こんなことにはならなかったのかもしれないのに」と、後悔したこと。

保健の授業で習うはずのことを、知らないままきた。

女性の身体の仕組み、男性の身体の仕組み、性感染症、避妊、女性の身体の変化、男性の身体の変化…

実際に問題に直面して、「ちゃんと習ってこなかったの?」と驚かれ怒られ、恥ずかしくて、恥ずかしくて、「どうすればよかったんだろう。」と悩んだ。

私は高校生の時、あれでも精一杯だったと思う。過去の自分を責めようとは思わないし、お願いだから他の人も過去の私を責めないでと思う。

でも、そうやっていては自分の身体を守れないって痛感した。

アセクシャルだからって、セックスはきっとしないからって、そう思っていても何が起きるか分からない。自分がアセクシャルでも、周りはアセクシャルじゃないことの方が多いのだから。


2つめ。

自分も保健の授業が苦手だったっていう人に出会ったこと。

その人も苦しんでいた。

「保健の授業、ちゃんと受けなきゃいけなかったよね。でも、無理だったよ。恥ずかしくてずっと目を覆っていた。」

分かる。

もう一度学び直したい私たちは、どこから「正しい」情報を得ればいいんだろう。

病院で聞いてきたこと、保健所で聞いてきたこと、パートナーから聞いたこと。

知識を共有して、真偽を見分ける目を養い、情報の海を生き抜いていく。

自分が知識を得ることは、友人や家族、パートナーを救うことにもなるのだと気づいた。


3つめ。昨今の「性教育」改革の兆しをうけて。

性教育の内容を充実させることは本当に大事だと思う。

友人と、家族と、そしてなによりパートナーと、正しい知識に基づいて、多様な選択を話し合える土壌を作っていく必要がある。そのためには、教育の内容を現実に即したものにしていかねばならない。

内容だけでなく、それを届けることの難しさについても議論が活発になればいいなと思って。


私のような人はきっといる。

そういう人を深く傷つけることなく(多少傷つくのは仕方ないかもしれない)、知識をきちんと届けるにはどうすれば良いのか

私自身もまだ分からない。でも何らかの方法はあるように思うから、考えていきたい。

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