ツルツルじゃなきゃ、ダメですか?
「彼氏」と呼べる人ができたとき、真っ先に「永久脱毛しなきゃ」と思った。
足の毛と脇の毛と顔の毛を、私は毎日せっせと剃っていた。
電車のなかの広告は「つるすべ」「夏はもうすぐそこ、いそげ脱毛」「はげてきたら、お医者さんに相談」 毛の話ばかりしている。
頭には毛を、眉毛はほどよく、まつげは長くボリューミーに、青髭はもってのほかで、わき毛は無、手の指の毛も無、陰毛は形よく、足はつるすべ。それが「女の子」(最近は「男の子」も同じく)
永久脱毛しなきゃと思った私を、私のなかのアセクシュアルな部分がとめた。「セックスするために自分を変えるの? 相手に提供するために自分を『女の子』にするの? 『つるすべ』本当に求めてる? それが本当に美しいって思ってる? ばかみたい。」
「でも、でも」ともう一方の私は必死で永久脱毛しようとする。「つるつるすべすべだと、自分も触っていて気持ち良いし。保湿クリームも塗りやすいし。ストッキング履いても毛がはみ出たりしないし。短パンですらっとした足、いいじゃん。タンクトップでも心おきなく両手を挙げられる脇、いいじゃん。」
脱毛したくない私は、脱毛したい私を気持ちが悪くて、ダサいと思った。
脱毛したい私は、脱毛したくない私を強情で、イケてないと思った。
グラグラ揺れる気持ちのなかで、とりあえず「彼氏」に会うときは、薬品で脱毛し、つるつるすべすべにする、ということで落ち着いた。わき毛がないと普通の「彼女」になれた気がして嬉しかった。すれ違う女たちからも、ちゃんと自分は「女」に見えているのだろうなと思って、安心した。
だけど、ずっとどこか気持ち悪さがあった。あるときお風呂で薬品を身体に塗りたくって、毛が溶けるまでの数分間、全裸で座っているときにどうしようもなく惨めな気持ちになった。
「パートナーと、ちゃんと話そう」と思った。彼が「どうしてもつるすべが良い」と言ったら、永久脱毛するか、彼と別れようと思った。
頭のなかには、昔見た日本画が浮かんでいた。画家の名前は憶えていないが、妖艶でエロティックな裸の女の人が描かれていた。私は恥ずかしくてちらっと見ただけだったけれど、とても美しい画だった。あの女の人は、ふさふさのわき毛をしていた。ふさふわのわき毛が描かれていた。
今お風呂の隅で、薬の匂いにつつまれて、体育座りしている自分は全然美しくない。エロティックにも、女にもなりたくなかったけれど、私は美しくなりたかった。美しく生きたかった。
私が「毛をどうしようか」と相談したとき、パートナーはびっくりした顔をしていた。「そんなことで悩んでいるなんて、一ミリたりとも思っていなかった」と。そして、「どっちでもいいと思うよ」と言った。「俺も生えてるし」
男として生きていて、上裸で海辺を歩けるあなたにわき毛が生えているのと、女の身体で生きていて、ヌーディストビーチ以外を上裸で歩いたらちょっとした話題になるであろう私にわき毛が生えているのとでは、全然違うだろう。「俺も生えてる」は何の慰めにもならない!とも思ったけれど、
「女は、彼女は、こうであらねばならない!」と思っていたのは、意外と私だけだったのかもしれないと、すっと心が軽くなった。
私は毛を剃ることをやめた。
これは何かを主張したいからではない。だから、私の毛はひっそりと生きている。私はタンクトップを着てわき毛を見せつけることも、短パンを履いて足毛を披露することもない。
だけど、まあ、気が向いたらオイルを塗ってみたり、保湿液を塗ってみたり、手入れをしてみている。私は毛と友好な関係を築けている。
忌むべきものだった毛は、愛おしいものに変わった。厄介に感じていた自分の身体を、以前よりも好きになった。あと、パートナーのこともね。前よりもちょっぴり愛おしさが増した。よかったね。
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