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何に興奮するかは人によって違う。それが勉強でも、恋愛でもいいじゃない


「恋愛しないで何するの?」

恋愛至上主義が少し薄らいでいる令和の時代でも、まだこう聞かれることがある。自分の自由に使える時間を何に使うの?って。

私の心の中での答えは小学校時代から変わらない。「勉強!」

でも、心の中通りに答えると「つまんないやつ」「強がり」「がり勉かよ」って否定的に思われるって分かっているから、テキトーにその時好きなことを答える。「映画だよ」「カフェ巡りだよ」「散歩だよ」

(そもそも親しい友人たちは、こんな無用な質問をしてこない。私が人生のほとんどを学問に費やしていることは、一緒にいれば分かる)


否定的に思われるだけならまだ良いのだが、やっかいだと思うのは、「勉強するってえらい」っていう価値観があることだ。

えらくない、全然えらくない

「『勉強しなさい』って酷い言葉だな」と、子どもを勉強させたい親から相談を受ける度に思う。

「勉強しなさい」って言葉を吐くとき、親は思考停止してしまっている。子どもは嫌な気持ちになる。それを周りで聞いている人もモヤッとした気持ちになる。

私は勉強が好きな大人たちに囲まれて育った。大人たちは素敵な本に出会ったときの恍惚とした表情を浮かべ、新しい概念を発見をしたときには鼻の孔を膨らませて興奮していた。勉強=なんだか楽しいものという雰囲気のなかで育った私もまた、学ぶことの楽しさに目覚めていった。


私は図書館で面白そうな本に出会うと、よだれが出てくる(比喩ではなく、本当に💦気をつけないと)。たぶんセクシュアルな人が、好きな人を見つけたときや、自分好みのアダルトビデオを見つけたときの感覚に近いと思う。

私は論文を書いていて、ゾーンに入って興奮して、パーっと上に抜ける感じがするときがある。たぶんセクシュアルな人の恋愛感情やエクスタシーというものに近いと思う。

だから、「エライ!!」なんて言われてしまうと、居心地が悪い。


アセクシャルな私にはセクシャルな人の恋愛・性愛は分からない。分からないけれど、「恋愛しててエライ」なんて勝手な価値評価はしない。分からないからこそ、「恋愛なんてしてないで、勉強すればいいのに」なんて暴言は吐かない。あなたはあなた、自分なりの素敵な生き方が見つかっているのだったら、最高だね、って思う


この社会では、高校生ぐらいまでは勉強をする人が評価されて、高校生ぐらいからは「勉強する人エライ」というタテマエはあるけど、ホンネは「恋愛上手い人かっこいい」になっていって、20歳くらいになるとホンネが表に出てきて「勉強ばっかりしてないで、いい人見つけなさい」ってなる。

この典型からは外れているけれど、幸せな生き方を見つけている人は沢山いる。それでいいじゃない。

スタンダードに苦しめられるのはもう嫌だね。

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