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弱さを受け入れ、人生のハードルを下げる

 タイトルの通りですが、自分の弱さを受け入れて、人生のハードルを下げることは、生きやすさに大いに直結すると感じます。

 今回は、「益田先生のサイト」で学びがあったので、それを引用しながら自分がどう感じたかを振り返ってみようと思います。

 最後までお付き合いくだされば幸いです。

■頑張りを減らす

 基本的には「頑張りを減らす環境づくり」というのをしなければいけないです。つまり、ハードルを下げるということです。
 患者さんが持っている理想、夢、目標というもののハードルをちょっと下げてあげないと対応できません。

 これは、過去記事でも触れたのですが、自分も理想像を下げる作業を行いました。自分の場合は、主治医から「何かを諦めないと」といった促しはありませんでしたが、これまでの信念を抱えているままでは、確実に行き詰まると分かったので、自分の理想像を下げ、虚勢的な目的で頑張ることを意識的に減らしました。

■不幸や弱さを受け入れる

 精神科の治療は何かというと、薬は薬であるのですが、この「ハードルを下げる」ということを受け入れてもらう、ということです。
 これがなかなか受け入れられないのです。
 自分の不幸や弱さを受け入れることができないし、受け入れなければならないといった事実を知ったとき、病気になって精神科に来ているので「このまま続けられない」「このままではダメなんだ」と薄々は自分で理解しているのですが、最後のトドメを刺されることになります。
 でも、受け入れるのは結構苦しくて、衝撃的で頭でわかっていても感情は受け入れられないということがあってすごく苦しいです。

 これは、とても葛藤を感じることです。自分の生きてきた物語から生み出された「理想像」から降りること、「不幸」を認めることに対して、受容に向けて力を注ぎました。例えば「スクールカーストが最底辺だったこと」「惨めに感じること」など、過去に向き合う作業を通して、認知の再構成に取り組みました。

 そのとき、不幸や弱さを受け入れる上で大きな力になったのが「自閉スペクトラム障害」という診断名でした。もし、この診断名が降りなければ、いわゆる「普通になるための努力」から降りる適切な理由を見出せなかったと思いますし、周囲も許さなかった可能性があります。
 そういった意味でも、上手に人生のハードルを下げる手立てと「社会的証明」を得るきっかけになった「診断名」には感謝の念があります。

■障害は資産なのか?

 良さを活かす、強みを活かすという言い方をする場合もありますが、それは主観的な世界です。
 発達障害の人で苦手なことがわかったから、逆に得意なこともわかったから出世したということはほとんどないです。
 だからある種の主観的な世界です。

 自分の場合は、「障害特性」を知っておくことで、苦手なことを把握し、なるべくやらないようにしています。仮に頑張ったとしても他の人がやるよりパフォーマンスが明らかに劣りますし、場合によっては自分が潰れてしまい、二次障害を呈することになりかねないからです。

過去記事でも語りましたが、苦手を知らずに無理をして、結果的に二次障害を呈すると、元のコンディションに戻すのがとても辛いことになる懸念があります。

 発達障害がある強みを活かすとなれば、「ピアサポーター」として「リカバリーストーリー」を持つことや、興味関心の限局性を活かして、何かを極めることでしょうか。

 リカバリーストーリーを持つことは、障害受容が進んでいれば主体的に取り組めると思います。ただ興味関心の限局性に関しては、社会のニーズに一致することや高レベルなもの、イノベーション的なものを求められると感じます。ですので自分の興味関心の限局性のおかげで、現実的に成功を収めることに関しては、あまり再現性がない気がします。

 過去記事でも述べましたが、発達障害の偉人を引き合いに「才能の塊」と安易に持ち上げられても、地に足がついていない感じがするため、逆に悲しくなる、虚しくなることがあります。

 自分の中では、あくまでも障害は障害で資産とは言えない状況です。以前聞いた講義の内容の受け売りですが、「障害とは困っている状態・支援を必要としている状態のこと」という形で捉えています。

■弱さを受け入れ、人生のハードルを下げる

 これも「言うは易く行うは難し」の典型例かもしれません。自分の場合は、障害という社会的証明がきっかけでしたが、幸いなことに、「訳もわからず頑張りすぎて、何だか知らないうちに消耗して何も残らなかった」という状況は避けられたかと思います。

 これも、運のおかげかもしれません。努力も大切ですが、特に最近は運に対してとても重要性を感じます。

■成功と自己啓発に対する距離感

 一般の方の興味というのは「成功する」ということなのです。それを精神医学の中で証言できませんか、と言われたとき、すごく違和感を感じたというか、初めてその違和感に気がついたんです。
 いかにして諦めるのかということを日々考えるのが僕らの仕事なのです。

「自分が思い描く理想や成功を諦める」、これは何かに行き詰まってどうしようもなくなり、精神疾患を呈した場合、これまでの生き方を変える必要性を感じる時でしょう。冒頭でも述べましたがとてもしんどい作業になるでしょう。

 「いかにして諦めるのかということを日々考えるのが僕らの仕事」というメッセージに対し、綺麗事で夢を見せて踊らせない「豚もおだてりゃ木に登る」ことを控えさせ、「現実に立ち返りながら、地に足をつけることを目指すもの」なのだなと感じます。

 このリアリズムが個人的には科学的な洗練さを感じます。理想と現実の狭間で、もがくのも勉強になりますが、等身大の自分で地に足がつく生活も心地よいです。

 話のまとまりに欠けた感がありますが、過度に期待しすぎず、腐ることなく、丁寧に人生を歩みたいです。

 ここまで読んでいただきありがとうございます☺️

【参考・引用HP】


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