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“自信”と“誇り”を持て!

 僕はかつて務めていた職場で早々に“不適応”を起こし、入職2ヵ月目で患者として精神病院の門を叩きました。当時の上司がよく言っていたセリフが
 タイトルにある通り「“自信”と“誇り”を持て!」でした。
 しかし残念なことに、僕は仕事を通して自信も誇りも全く持つことができず、むしろ著しく失っていったと僕の物語では位置付けられています。今回は、改めて“自信”“誇り”を持つことについて、考えていこうと思います。

■“自信”を持つとは?

 “自信”を広辞苑で調べると「自分の能力や価値を確信すること」「自分の正しさを信じて疑わない心」と出てきます。
 しかし、作業療法において「できる」と思う気持ちを“自信”だけで理解するのは不十分です。
 キールホフナーとバンデューラを参考にすると
「能力の自覚」「自己効力感」がキーワードになります。

 「能力の自覚」とは、
“自分がそうしたいと望む能力を積極的に自覚する”ことです。
 例えば、[他の人よりも能力が高い。][学んだことを活かせる。]と認知していれば、「能力の自覚」を持てていると思います。
 僕の場合は働いている際、「これまでの学習が全く生かせない」「周囲から負のフィードバックを受け続けている」「苦手なことが多い」という認知であったため、「能力の自覚」を全く持つことが出来なかったと思います。これらの認知が僕に無力感を覚えさせ、絶えず不安を感じ続ける要因になったのだろうと思います。「苦手なことが多い。」に関しては、僕がまだASDと診断されておらず、自分の能力の客観視が不十分だったと思っています。

 次に「自己効力感」ですが、
“ある具体的な状況において適切な行動を遂行できるという予期と確信”という概念です。
 例えば、[○○という目的のために、■■などの行動が上手く出来るだろう。][○○すれば■■という求める結果になるだろう。]といった形になります。
 しかし、不適応をおこしかけていた当時、僕はすでに“能力の自覚”を持ち合わせておらず「頑張って行動しても、求める結果は得られないだろう。」という思考でした。案の定、仕事で失敗を重ね続け、周囲からの叱責の嵐の強度は増し、さらに無力感と不安感が募り、仕事への興味・関心と意欲は加速的に低下していきました。
 そしてバンデューラは、強力な自己効力感を得るためには“制御体験”の重要さを述べています。これは、「忍耐強い努力によって障害に打ち勝つ体験」と定義してあります。おそらく上司としては、叱責の嵐の中で揉まれる経験を通し結果を出すことで僕に制御体験を感じてもらい、仕事のパフォーマンスを高めて自信を持って欲しいという期待があったのかもしれません。
 次に「できる」という信念を強める方法に“代理体験”があります。これは「自分と同じような人が忍耐強く努力し成功するのを見て、自分もできるとういう信念を持つこと。」としています。しかし、僕が入職した当時は同期がおらず、同じような立場の人は皆無でした。そのため指標が不明確で、先の見えないトンネルを鞭を打たれながら走らされ続けている馬車馬のような気持ちでした。
 要は、『自信を持つには、“能力の自覚”を認知し、“自己効力感”を得る』ことで初めて持てると思います。改めて振り返ると当時の僕の認知では自信を持つことは到底できないだろうと思います。

■“誇り”を持つとは?

 “誇り”を国語大辞典で調べると「名誉に思うこと。」と書かれています。さらに“名誉”を調べると「人の才能や特定の状態に関するすぐれた評判」「世の称賛を得るような働き」などと記載されています。名誉を得るには共同体から優れた評判や称賛を得ることが必要になると考えられます。これはまさに「承認欲求」を満たす過程そのものだと思います。承認欲求とはマズローの欲求段階説の一つで“他人から認められたい、自分が価値ある存在と認めたい”という欲求です。
 そして、上司が言っていた“誇り”とは仕事を通じて得たものだと思われるので、ここで「職業的アイデンティティ」という概念に注目してみました。これは‘中西1995’を参照に要約すると“仕事を通じて、自分はどのような存在であるのか、ありたいのかを意識し、職業を通じて自分らしさを確かめ、育てていく職業的姿勢”と述べています。
 よって“誇り”“承認欲求”“職業的アイデンティティ”で考えると、上司は役職を持ち部下を率いているため、職場で承認欲求を満たしているでしょう。さらに入職して10年以上経過しており、仕事を通じて感じる自分らしさも確立しているかと思います。これらを踏まえると上司は“誇り”を持って仕事に取り組めていると思われます。
 残念ながら当時の僕は承認を得ることもなく、職業的アイデンティティを考える余裕もなかったため、誇りを持つことは困難だったと思います。

■まとめ

 “自信”と“誇り”は持つことは、あくまで結果論だと思います。言語的な説得で持つことは難しく、あくまでその過程を支援し、本人自身が経験し気づくことが最も重要だと思います。本人が成功体験を得ることや正のフィードバックを受けること、自ら主体的に反芻しながら価値観を構成する過程が不可欠でしょう。
 まずは、本人がメッセージの入力が可能な状態かを観察評価する必要もありそうですね。
 今回は、過去を振り返る内容でネガティブな一面が多かったかと思います。そのような中、最後まで読んで頂いてありがとうございました^^

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