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[推し本]あいたくてききたくて旅にでる(小野和子)/推すなんておこがましい、ただ受け渡していきたい

瀬尾夏美さんの「声の地層」「二重のまち/交代地のうた」、いとうせいこうさんの「東北モノローグ」に出てくる小野和子さんという方は、どうやらこの流れの源流だと思っていたところに、この本を手にする機会に恵まれました。

余計な装飾を排してモノクロながらセンスのある表紙をめくると、冒頭の「はじめに」で編集者の清水チナツさんがこう書いています。

小野和子という一人の人間の知性と奥深さが、その人でしかありえない仕方で全うされ、立ち現れていた。その言葉を浴びることは、わたしを含む世界が浄化されてゆくような経験だった。

読後に改めてこの「はじめに」を読んで深く深く肯首するのです。ああ、大事なものを受け取ってしまった、と。

小野和子さんの書斎で撮影された後ろ姿は、背中だけであっても凛とした佇まいが感じられる。(奇しくもアレクシェーヴィチとの対話の表紙写真とも似ている)

高度成長期に差し掛かる前後から、民話を聞かせてくださいと東北各地を一人で訪ね歩き、何十年も集めてきたその原動力は何だったのでしょうか。小野さんとしてはただききたくて訪ね歩いていた、という素朴な行為が、振り返ると誰も真似できない偉業を成し遂げていたという感じです。
時代の中で消えゆく声や民話を聞き取り、書きとめ、親から子に口伝いに伝わった話を再生することで、その生活の背景や土地の歴史まで浮かび上がらせます。そこには真の深い知性と、この人になら話してもいいと思わせる小野さんの人間性の賜物でしょう。

むがぁーす、むがぁーす。(むかし、むかし)

ではじまる昔はなし。東北なまりでなんとも味わいがあります。素朴なもの、教訓めいたもの、不気味なものや不思議な話まで、親の内職の傍らで聞かされたり、寝床で聞かされた話を、年取っても思い出すと出てくるものなのですね。テレビがない時代のある種の親密で豊かな文化だったのかもしれません。

牧歌的なようでいて、民話の中には、蝦夷征伐のような征伐された側からすると辛い歴史が反映されていたり、年端もいかないのに口減らしで嫁がされる厳しい暮らしが反映されていることも往々にしてあります。また、それがつい最近の出来事かのように、すぐ近所の誰誰さんのところであったように今の生活に地続きでするっと語られる、最後に念押しで「これはほんとの話なんだよ」と締めくくる型がある、というのもとても興味深いです。

実際、私も宮城県の丸森町というところで出会った長老が、町の案内をしていただいているときに、「この道まーっすぐいったら鬼ばばの身投げした池があって・・・」とまさに民話語りだったので、これかー、と思いました。

さて、小野さんが聞かせてくださいと行ったところで、すぐはいはいとなんでも語ってくれるわけではありません。何度も通い、知り合いになって、やっと聞かせてくれるということを続けてこられたわけです。
ある時、分校の学芸会で集落の人たちが集まっている「ハレ」の一方で、「ケ」のようにひっそり集まっているおばあさんたちがいる場で小野さんは話を聞きます。賑やかに苦労話を聞かせてくれるおばあさんがいる中で一人じっと黙って座っているおばあさんがいる。

「この人は苦労がひどかったから、もう口きかなくなったのよ」
もう一人のおばあさんも言う。
「お茶っこ飲みに誘えば、こうして出てくるけど、黙って座っているだけだ」
「んだ、んだ。なんにも言わねぇ。石みだぐなってしまった」
「ほうとう、石みだぐなってしまった・・・」

この経験から、小野さんは、石のように閉ざされた「物言わぬ世界」があり、さらに「尽きない苦労話の世界」があり、そのうえに咲く花のようにして「民話の世界」があると痛感するのです。

桃太郎、一寸法師のようなよく知っている昔はなしでは、子なしの老夫婦、という設定が多い、というのも改めて目から鱗でした。集落(里)では共同体(結い)で助け合わないと生活できない、しかし子もなく労働提供できなくなるとその結いにも入れてもらえなくなる、そうして里(農耕)から山(狩猟採集)に移り、忘れ去られ、ひっそり死んでいく、そんな姥捨て山的な運命の中に、神の恩寵のように桃から桃太郎が生まれる喜びが語られ続けてきたのではないか、と。

私はたまたまが重なり、小野さんに行きついてしまいました。何十年にもわたる仕事の一部しかまだ知らず、推すなどというのは到底おこがましい。ただ、知ってしまった以上、こんな素晴らしい人がいて、さらには無名の民話の語り手がいて、そこにはこんなに重厚で豊かな語りの世界があることを少しでも受け渡していきたいと思います。

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