見出し画像

【推し本】朗読者/知られたくない秘密を抱えた者がとった人生の選択が切ない

義務教育が行きわたった現代の日本で、読み書きできない人なんていないだろうと思いがちだが、無国籍児やネグレクトで学校に通えなかったり、親が外国人だったり、いろいろな事情で適切な時期に教育機会を受けられないまま社会人年齢になってしまった人は一定数いる。
ちなみに、明治生まれの私の祖父は、初等教育を十分に受けられなかったため、文字を読めなかったらしい。
らしい、というのは、日常生活の中では困っているようにも見えなかったし(必要なことは祖母がやっていたのだろう)、祖父本人から聞いたわけでもないからだ。
記憶にある祖父は、電車に乗って出かけるのが好きで、几帳面な大工仕事が得意で、相撲の放映時間には新聞の番付表で勝った力士の名前に赤く丸をつけていた。
力士の名前は難しい漢字だらけで、子供の私にはさっぱり読めなかった。
あるとき、新しいもの好きの祖父が、書いてもすぐに消える不思議なペンを何かのおまけでもらい、チラシの裏に私の名前をカタカナで書いてくれた。その薄緑で縦書きに書かれたカタカナ3文字は、ぼーっとすぐに消えていった。
後にも先にも祖父が何か文字を書いたのは、それしか記憶がない。
今となっては、祖父がどのくらい読み書きできなかったのか、そのことでどのくらい苦労してきたのか、知るすべもない。人生の岐路でどんな選択をせざるを得なかったのかも・・・。

【第一部】触れ合う距離からの視点

「朗読者」では、まだ子供のような15歳の少年が、学校帰りに母親ほどのハンナと出逢い、すぐに肉体の関係にはまり、そのセンセーショナルな禁忌を覗き見るような展開から始まる。

なにか朗読してよ、坊や!

ハンナにせがまれて、いろいろな本をベッドで読み聞かせる少年。学校の課題本からの朗読を聞かせないと、一緒にシャワーを浴びて愛し合ってくれないからだ。
ある時などは、学校をさぼったことを知られると、すごい勢いで叱られる。市電の車掌をしているハンナは、切符を切っておつりを渡す仕草をしながら、次のように言う。

バカってのがどういうことだか、わかってないのね。

そんなハンナのために、一生懸命お小遣いを工面して、ついに二人で自転車旅行に行った先では、宿帳を記すのも、食堂でメニューを選ぶのも少年に任せるハンナ。
しかしある日突然、何も告げずにハンナは町から姿を消す。
その理由を、少年はまだ何も知らない。

【第二部】傍聴席からの視点

次に「ぼく」がハンナに再会したのは、7年後。少年も大学生となり、法律家の卵としてある裁判を傍聴した時だ。
そう、母子ほど年の離れた苦い恋の舞台は、第二次世界大戦後しばらくたってからのドイツであり、ハンナはある戦争犯罪で裁かれていた。
裁判の過程で、ハンナが収容所の看守をしていたこと、次から次から新しい囚人が送られてきて、「場所を空けるために」アウシュビッツに送る囚人を選別しなければならなかったことが語られる。
それは囚人を死なせることになるとわからなかったのかと問う裁判官に、ハンナが逆に問いかけるこの一言が、この「朗読者」の中でもひときわ印象に残る。

わたしは・・・・わたしが言いたいのは・・・・あなただったら何をしましたか?

この瞬間、それまでハンナに集まっていたあらゆる視線は裁判官に移る。
裁判でのハンナの言動は、必ずしもハンナに有利でない印象を与え、また、最後に責任者としての報告書を書いたのは自分だとハンナが自白したことが決定打となり、無期懲役を処される。
そうなってから、ようやく「ぼく」は気づくのだ、ハンナが罪を引き受けてまでも隠し通そうとした秘密に。

【第三部】刑務所の外からの視点

それからまた随分時間がたち、結婚とさらに離婚も経た「ぼく」は、刑務所のハンナに、いろいろな朗読を吹き込んだカセットを送りはじめる。
それはハンナが文盲と知った上での行為だが、カセットを送り続けて何年もたってはじめて、ハンナからつたなく短いお礼の手紙が送られてくる。
大人になってから文字を習得することの困難さは測りしれないが、ハンナはものすごく努力したのだろう。
そして、恩赦があり出所することになったハンナの引受人となった「ぼく」は、すっかり老人になったハンナと久々に会う。

“明日はどうするか、考えておいてよ。すぐに家に行きたいか、森か川にでも行きたいか。”
“考えてみるわ。あんたは相変わらずすごい計画家なのね!怒らないで、坊や。悪い意味で言ったんじゃないんだから。”

本書が問いかけるもの

こんな牧歌的なやりとりの後の結末はあっという展開にはなるが、そういう結末でしかありえなかったのだろうも思える。
どうしてハンナが人生の随所随所でそういう選択をしたのか、せざるを得なかったのか、巧みな伏線はぜひ本書を読まれたい。
その理由が分かった時、その選択の重みが後からじわじわ湧き上がってくるだろう。
ようやく最後に、ナチスの犠牲者の生き残りのユダヤ人に対しての贖罪がされるが、これは、ユダヤ人ではないドイツ人がこのような物語を描くうえで外せない視点であろうし、しかしやや取ってつけたというか、ポリコレ的な行為でもあり、なんともぎこちないのだ。
このぎこちなさは、今もユダヤ人ではないドイツ人が何らか抱える感情のような気もする。
いや、はたしてそれはドイツだけだろうか。

ハンナの裁判で、全視線が裁判官に移った時、読者もまだ傍聴者でいられた。
そして読後、”あなただったら何をしましたか?”の問いかけは、読者に突きつけられた宿題だったと気づくのだ。

映画化もされました。

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,135件

#わたしの本棚

18,647件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?