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自分の趣味を全力で整理してみた(ディズニー、アクアリウムetc...)

私の趣味は、ディズニー、アクアリウムを主軸とし、それにアニメや映画、筋トレ、読書などがちらほらと顔を見せている。

プロフィール記事でもある程度述べたが、今回の記事では自身のそれらの趣味について深堀っていきたい。目次から飛んで、私と趣向が一致する章のみを読んでくれても構わない。

ディズニー

ひとえにディズニー好きと言っても、その定義には頭を悩ませる。
「ディズニー」という言葉を呼称するとき、その対象が東京ディズニーリゾートなのか、海外のパークなのか、映画作品としてのディズニーなのか、ウォルト・ディズニーという人物を指すのか…等と、多くの集合が内部に存在し、しばしば混乱を招く。

私の趣味は「東京ディズニーリゾート」にフォーカスを当てているから、ここで用いる「ディズニー」とは、千葉県浦安市舞浜に存在する当テーマパークであるという前提で読み進めて欲しい。

私が当界隈に本格的に足を踏み入れたのは、東京ディズニーリゾートが35周年を迎えた2018年の春だった。ディズニー界隈内を見てみると、歴としてはまだまだ浅いといった所だけれど、執筆現在二十歳はたちを迎えたばかりの若造にしては、6年という多くの歳月を費やした趣味であるので主軸という判定を下している。

私はどうやら主にショーパレ(東京ディズニーリゾートで公演されるショーやパレード)が好きらしい。パーク内で心から感動し、涙を流す瞬間と言うのは、基本的にショーパレの公演中である事が多い。
東京ディズニーリゾートにハマったきっかけも、「ハピネス・イズ・ヒア」の最終公演であるし、好きなショーパレの為なら、何時間の地蔵も一切厭わない。

界隈に参入したころは、ただただショーパレが繰り出す世界観に没頭し、カタルシスを味わっていた。
しかし、35周年期間中のミッキーマウスの声優変更、35周年終了後のミッキーマウス、ミニーマウスのフェイスデザイン変更、新型コロナウイルス感染拡大に伴うショーパレの簡略化、近年の「ディズニー・プレミアアクセス」導入に伴うゲストの分断化・治安の悪化…諸々の原因により、純粋にショーパレを楽しむことは殆ど無くなった(出来なくなった)。

今では、メタ的な視点でショーパレを捉えている。

このショーパレに込められたメッセージは何か?
ショーパレはパークでどのような存在なのか?
近年のショーパレに見られる傾向は何か?
どうしてこのショーパレは人気/不人気なのか?

定期的にパークに出向いては、日々そんなことに思考を巡らせている。

幸か不幸か、この「純粋な没頭」から「メタ的な捉え方」への移行は、ショーパレという枠組みを超え、パーク全体にも対象が向くようになった。
この手の分野に関してはハッキリ言って素人レベルでしかないが、社会学、行動経済学、心理学などの視点をパークに持ち込み、洞察を深めるのもまた一興である(まあ、これらの学問知識は私にとって付け焼刃でしかないのだろうが…)。

そう思うと、私は東京ディズニーリゾートを楽しんでいるのだろうか?
論理的思考を常に働かせる趣味と言うのは、果たして本当に「趣味」なのか?

このパラドックスへの解決策として、私は時に「馬鹿(蔑称的にではなく、便宜的にこの言葉を用いている)」になってパークを訪れる。一旦頭の中に抱えた膨大な思考をパーク外に置き去り、まるで初めてパークを訪れたかのような感覚でパークを散策する。

人気アトラクションを乗り回し、キャストさんと交流し、ベイマックスのハッピーライドでバカ騒ぎし、ワンハンドメニューを頬張る典型的な楽しみ方も、決して軽視せず積極的に導入するようにしている。

今後の10年ほどの展望としては、大まかに分けて2つのルートが存在する。

ひとつは、東京ディズニーリゾートを軸・ホームに、他のテーマパーク、海外パーク、ディズニー映画作品…と羽を広げ、「ディズニー」に関する見識を深めるという方向性である。自己満足でしかないのかもしれないが、テーマパークやディズニー界のゼネラリスト的存在になれたらなと思っている。
東京ディズニーリゾートに関しては趣の限界を感じつつあり、このまま舞浜に留まるのも微妙という側面もある。

もう一方は、「東京ディズニーリゾート」を徹底的に深める道である。
簡単に言えば、提供側に回る…即ち、株式会社オリエンタルランド、若しくは関連会社に就職するということになる。その歴史を自ら創り上げていく方向性への意欲は十分に高い。

一般に、ディズニー好き・Dオタは意外にも提供側に回ることを臆する人が多い。それはひとえに、純粋にパークを楽しめなくなる可能性が高まるからだ。
しかしながら、私の場合、既に純粋にパークを楽しむことはほぼなく、先述したようにメタ的な視点でパークを捉えることが多い為、提供側に回ること自体への不都合はない。

とはいえ、ディズニー好きに限らず多くの人々が希望する方向性であり、決して実現可能性が高いとは言えない厳しい道であることも十分に理解している。この道が閉ざされた場合、前者の方向性を選択することにはなるだろう。

アクアリウム

アクアリウムというと、一般に水槽に水を張り、その中で水生植物や観賞魚を楽しむイメージが強い。勿論、私はそういう意味で「アクアリウム」を愉しんでいるが、時に陸上に手を出すこともある。

アクアリウム歴は、実はディズニーよりも遥かに長い。
小学生の頃、近所の川や池、用水路に網を持って出かけ、よく生物採集に勤しんでいた。
採集した日本淡水魚の美しさに心奪われ、自宅で飼育することになったことがこの界隈に足を踏み入れたキッカケである。

父親譲りの90cm水槽に、底面フィルターと上部フィルターを組み合わせた最強性能を誇るろ過装置を自作し、種類に富んだ日本淡水魚を飼育していた。

モツゴ、アブラハヤ、カワムツ、ウグイ、フナ、コイ、ニゴイ、キタノアカヒレタビラ、タイリクバラタナゴ(これが外来種だと知るのは相当後の話)、マドジョウ、シマドジョウ…等、様々な見た目、生態の魚種が、ひとつの水槽の中で共存しているその姿に見惚れていた(今思えばどう考えても過密飼育だが、日本淡水魚の強い生命力からか特に水槽が崩壊した記憶はない)。

他にも、ライギョやアカハライモリ、サワガニやヒバカリなど、様々な水辺の生物を他の水槽で飼育していた。ロシアリクガメやフトアゴヒゲトカゲ、ニホンカナヘビ/トカゲなど、陸にも積極的に手を出していた記憶がある。勿論、小学生らしくカブトムシ・クワガタムシを育て、友人と昆虫バトルを繰り広げていた日々もあった。不思議なことに、鳥類、哺乳類にはいっさいの関心がなかった。

インターネットのアクセス権が皆無に等しかった当時の私に、故 天野 尚氏が確立したネイチャーアクアリウムの概念など知る由も無かったのだが、小学生当時から(大変恐縮だが)近しい考え方をもってアクアリウムに励んでいた。生体自体が魅力的なのではなくて、自然と調和したその景観自体が美しいという価値観のもと、生で見た河川の美しい情景を、採取してきた砂利や岩、流木、ペットショップで購入した日本の水草で表現していた。あるいは、単純に自然に近しい環境でないと、飼育している生体がかわいそう、という情緒的な側面があったことも否めない。

恐らく、景観としての自然の捉え方や環境エンリッチメントの概念を生得的に獲得していたからこそ、愛玩動物としての側面が強い鳥類、哺乳類にはそこまで惹かれなかったのであろう。勿論、イヌもネコも実家で飼っていたし、特別嫌いなわけではなかったが。

中学/高校生になってからも、アクアリウムの熱は収まる気配を見せなかった。改良メダカ飼育/繁殖にハマり、庭には大量の発泡スチロール容器、ビオトープが並んでいた。勝手に庭に穴を掘って巨大な池も作った(誰かが勝手に放したのか、立ち上げの段階でどこからか持ち込んでしまったのかは知らないが、現在なぜか導入の記憶がない大量の二ホンウナギに池を占領されているらしい)。勝手に作ったことに関しては叱られるかと思ったが、殺風景な庭に自然が出来て、意外にも家族からは好評だった。

また、この頃ようやく海外の魚にも手を出し、小型熱帯魚からチョウザメといった大型肉食魚まで、外来種が魅せるユニークな生態に心を奪われていった。

と同時に、近所では開発が進み、河川環境が大きく変化していた。
河川付近の植生が破壊され、護岸工事によりエコトーンは失われた。日に日に観測できる種数が減っていった。

近所のタナゴ池には、何者かがブラックバスを大量に放流し、キタノアカヒレタビラを中心として構成されていた日本淡水魚が絶滅した。
ボランティアで域外保全を行っている方にも話を伺ったが、残念ながら解決の糸口を見出せていないとのことだった。

そんなわけで、問題意識を持ちながら生態系保全に関わる大学に進学し、現在学びを深めている所である。

大学進学に伴い、独り暮らしを始めてからは、大型の水槽でガチャガチャやることはなく、ボトルアクアリウムやベランダビオトープといったスタイルへ移行した。
幸いにも、自身のライフスタイルの変化と、アクアリウム業界のトレンドが一致し、現在はカジュアル層に向けた手軽な製品が多数登場しているため快適にアクアライフを楽しむことが出来ている。

実際に自分が立ち上げることはマンションや費用の都合上出来ないが、大型の水槽で繰り広げられるネイチャーアクアリウムに関しても常に情報収集を重ねている。IAPLC(世界水草レイアウトコンテスト)にも勿論着目している。
その圧倒的な水景に心を奪われるが、典型的な構図と、本来の自然を超越した絵画的表現には少々疑問視している側面もあり、自身が立ち上げる暁には自然植生を重視した独自路線を貫いてみたいと思っている(正直、設備をふんだんに盛り込んだ水槽よりも、ビオトープのようなある程度自然の自由に任せた表現の方がより"ネイチャーアクアリウム"なのではないだろうか…)。

今後の方向性としては、これまた2パターン存在している。
ひとつは、学術的な道を深め、水域を中心に広く生態系に関わる知識人になることである。その場は、大学院でも、自然保護に関わる就職先でも実現可能だと思っている。

もう一方は、ネイチャーアクアリウムを極め、IAPLCのトップランカーになる道である。これには少なくない労力がかかるだろうが、いちアクアリストとしての終着点としては妥当ではないだろうか。


実は、私はディズニー、アクアリウムに関連して、一生をかけて成し遂げたい壮大なビジョンを心に秘めている。

それは、生態系と、人間が互いに干渉することなく共存する空間を築き上げること。
生物をキラーコンテンツとした空間を作る場合、大抵は動物園や水族館などのスタイルが基本だ。しかし、それらは檻や水槽で、私たちと生物との間に明確に線引きが存在している。それに、「生物を展示すること」を主軸に置くと、展示されている生物の本来の姿…もとい、生態系そのものを感じる事も出来ない。
反対に、生態系のリアルさを突き詰めると、自然公園のように、人間の介入自体を制限・禁止する必要が出てくる。また、自然の脅威を生身で受けることになるので、老若男女問わず楽しむことも出来ない。

だから、私は動物園でもない、水族館でもない、全く新しい概念を確立し、"生態系そのもの"を味わえる施設を作りたい。生態系に私たちがお邪魔し、こっそり生物たちが繰り広げる生活史を覗き込むイメージ。

その実現のために、空間作りのクオリティがトップクラスである東京ディズニーリゾートや、自然そのものを尊重するアクアリウムといった界隈に入り浸り、何かしらのヒントをかき集めている。趣味、もとい人生の最終的なゴールは、ディズニーでもない、アクアリウムでもない、自身でそんな「新たな世界」を開拓することである。

アニメ・映画

Amazonプライムビデオを中心に、時には映画館に出かけて映像作品を嗜んでいる。まあ、世間で流行っているものに飛びつくミーハーでしかないのだが…。
感化されやすい性格なので、こうした映像作品には何度も人生に影響を受けている。

ただ、趣味としてそんなにガチってはない割には作品に対する評価を真剣に下している。
適当に見ることはまずない。

ジャンルは、アクション、ホラー、サスペンス、恋愛…と、割と何でも食い付く。洋画だと俳優はジェイソン・ステイサム、監督はクリストファー・ノーランが好き(ミーハー度合いが露呈する)。

ちなみに、アニメが好きとはいえ、滅多に漫画やラノベは読まない。

筋トレ

「筋トレ」というより、正確には「男磨き」という表現が適切である。
この趣味を始めたきっかけは、単なる邪な動機で「モテたかった」からである。

とはいえ、別に鼻を伸ばしてウハウハでやり始めたという訳ではなく、当時高校生だった私が、強烈に恋愛コンプレックスを拗らせた結果行きついた、地獄の中で見出した境地である。

一時期この趣味が優先順位の中で最上位に君臨していたが、目的であった「理想のパートナー」を手に入れてからは、そこまで魂を燃やすほど行うものではなくなった。

正直、この界隈はあまり好きではない。
「男磨き」という概念を突き詰めた先にあるのは、手段が目的化したり、男女差別を肯定したり、他者を見下すようになったり、醜形恐怖症のような精神状態になったりと、シンプルに人生のバランスが崩れるからだ。

それでも、なぜ私は今日も汗を流し、プロテインを口にするのだろう?
ー正直、自分でもよく分かっていない。

読書

本は好きである。
というより、「活字を読むこと」が私は好きだ。

よく街中で掲示物を読み込んで、家族に叱られていた。
実用書と小説を半々くらいで読み進めている。たまに古典的名作にも手を出すけど、本棚のラインナップは基本的に新書ばかり。


こうして整理してみて思ったのだが、どんだけ一人の時間好きなんだよ…。

なんとなく私の性格が伝わったところで、この記事を綴じることにしよう。

おしまい

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