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一つのことを極めると何が見えるのか

最近いろいろな人と会う中で毎回痛感させられるのが、「一つの道を究めている人の話は何時間でも聴ける」ということ。逆にその道の人も、専門分野のことなら何時間でも話せるよ!という人も多いと思います。

先日ある留学コミュニティのイベントで関西に住んでいるOBの方々と飲み会をしたのですが、その中には「タコとイカの研究をしにヨーロッパに留学に行った人」や「大学でVRについて研究して、来年からはそれを活かしてスペインで働く人」など年齢も職種も様々な背景を持った人たちと話す機会がありました。話の中で、恋愛の話を自分の研究分野に例えて話していたり、自分がなぜその研究を始めたのかや、将来どう活用していくかなどの話など、情熱をもって話している姿は聞いている側も魅了されるし、学ぶものがたくさんありました。

私も専門分野を聞かれましたが、大学1年の時はジェンダーに興味があったけど、コロナ禍での学生団体の活動がきっかけで2年時のゼミでは地域活性化を中心に活動して、留学中はコミュニケーション論や性教育団体での活動をしたりと、「え、結局私の専門分野って何?」となりました。

私は何もかも中途半端というか、様々な分野に興味が分散しすぎてるのかなとおもったり。専門分野を持っている人がそれに関して熱く話しているのを聞くと、うらやましい気持ちがどんどん膨らんでいきました。

また、先日初めて高校ラグビーを見に行ったのですが、花園出場をかけて必死に相手に食らいついて全力で勝負する様子に胸を撃たれました。
応援していたチームの子が試合終了後「せっかく見に来てくれたのに結果を出せなくてすみません」と涙を堪えて言っていた姿に、こっちまで泣きそうになりました。

私はその試合しか見ていないけどその裏で、毎日毎日きつく、地道な練習を重ねて、途中でやめることなく3年間つづけてこれたことは決して誰にでも当たり前にできることではない、本当にすごいことだと思いますし、同時に見ている人に感動を与えた高校生たちに本当に感謝をしています。
スポーツは勝ち負けがつきものですが、試合の結果だけではなく、それまでの経過や思い出はこれからの人生の中でも彼らの中にずっと残っていくことは、結果だけでは表せない大切な要素なのかなとも感じます。

そこで、ふと「自分はここまで悔し涙を流すほど1つのことに打ち込んだことがあるだろうか」ということが頭をよぎり、改めて一つのことに熱中することを見つけて最後までやりきることは簡単なように見えて実際本当に難しいな、と感じました。

何が言いたいのかというと、何かこれだけは極めたい!という事柄に出会えることは本当に貴重だということ、また、それを見つけた先には絶対自分の個性や強みを構成する大切な部分になってくれるから、「ラッキー!」と思ってそれを手放さないことを上記の二つの例を通して改めてしみじみ痛感させられました。
私もそうゆうものが早く見つかればいいな~⭐️



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