yukari
エッセイ
小説的なもの
植物を壁や天井につるすハンギングプランツが流行っている。 知ってはいたものの、そもそも飾るためだけに特化されて売られている植物は本当にかわいそうだし、部屋に植物を閉じ込めるのはどうなんだろうと思って躊躇していた。 しかし、先日観た海外ドラマのロシアンガールが植物のある素敵なベッドルームに住んでいて、こんな風にしたい!と思い立った。 躊躇する気持ちは、日中は日当たりの良いところに置いて、たまには外に出してあげるということにした。 近所には観葉植物のあるグリーンショップがな
嬉しいって思うときはいつだろうか。 他人から良い評価をもらったとき、思いがけず期待していたことが叶ったとき……色々考える中で私は「自分の思いが届いたとき」に嬉しいのだと気が付いた。 誰かのためになりたいと思って頑張ったこと、もっと周りを楽しくしたいと思ってやったこと、なにかを伝えたいと思って作ったこと……それらが届いた時に私は「嬉しい」と思う。 「自分の思いが届いたとき」と書いたが、本当は私の生活の中では、届かない思いの方がほとんどだ。 こんなにやったのに、好きになって
私にはあやちゃんという友達がいる。 中学の頃からの同級生で、ほとんど幼馴染だ。 お互いにずっと東京で育って、共有するものもなんとなく似ている。 あやちゃんは、アーティストだ。 大学院まで建築を勉強していて、普段は建築事務所で働いている。 だけど、建築は嫌いなんだという。 口数は少なくて、変わっていて、でも彼女は昔からいつも、たくさんの人に囲まれている子だった。 そんなあやちゃんが 「まあ、新しい生活様式」都市鉱山の調理法 という展示で作品を発表した。 数人のアーティストが
「愛とは与えるものだと思いがちですが、与えられた愛を受け取る愛もあります」 私は、中学・高校とキリスト教の学校に通っていた。 毎朝礼拝があり、日替わりでそれぞれの人が、思い思いの語りをした。 「受け取る愛こそ、イエス・キリストが実践したものです」 私はクリスチャンではないし、誰が話したのかも覚えていないのだけど、この言葉が心の中に残っていた。 たしかに聖書の中にはこんなエピソードがある。 イエスは重い皮膚病をわずらった人の家に行き、一緒に食事をする。 そこで、ある女性
「死にたいってお母さんに言ったら、私も笑われたことがある」 私の映画のセリフに、こうつぶやいてくれた人がいた。 とても嬉しかったのを覚えている。 私は、死にたい、消えたいという希死念慮と長い付き合いだ。 一番ひどかったのは、中高生の時。 学校まで1時間かかる満員電車の中。車窓をみながら、毎日死ぬことだけを考えていた。 学校では、呼吸を消すみたいに、全ての時間割を机に突っ伏して眠った。 死にたいといっても、具体的にはなにも行動に起こせなかった。だけど、頭のなかで何度も自分と
1つが2つに、2つが3つに。 増やしてもなんの意味はない。ただ、増えるだけのことが嬉しい。 いま、多肉植物を増やすことにハマっている。葉挿しや、株分けで多肉植物は1株から何株もへと永遠に増やすことができる。 この「増やす喜び」って一体どこから来るのだろう? 単純な「増やす」「増える」の面白さ、楽しさ。 何故それが増えたのか、日光か?土か?気候か? 理由はイマイチ確定されない。 だけど、一度増やすことに成功すると、もっと増やしたい。 では、増やしたものをどう使いたいのか?
午前11時のファミリーレストラン。 WはYを待っている。 Wが伝票を持って立ち上がると、Yが現れた。 向かいに座ると、 「何食べようかな」 とメニューを見る。 「1時間も遅れてるよ」 「ああ。昨日夜勤で、携帯を充電し忘れて」 「連絡がないと困る」 「ごめんって」 Yは笑う。 Wはトイレがあくのを待っている。 ふと席を見ると、たくさんの人の中に、小さく、Yの背中があった。 Wは首をかしげた。 YはWを待っている。 だけど、Wはもう現れなかった。 #短文バトル
いま、韓国の女性作家の本が注目されている。 本屋に行くと必ず『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著、 斎藤真理子訳、筑摩書房)をはじめ、韓国フェミニズムのコーナが大きく取り上げられている。 ほとんどの本が誰かが手に取った跡があり、日本でも必要としている女性が多いのだということを実感する。 その中の一つである、『となりのヨンヒさん』(集英社)はチョン・ソヨンが手がけた15作品のSF短編集だ。 著書は中学生の頃から宇宙への興味をもち、エリザベス・ムーンやケイト・
夜中に、母に電話をした。「こんなこと言いたくないんだけど…」と、私。母は眠たそうな声で「どうしたの?」と聞く。「お金が…」そう言うと、母が慣れた感じで「いくら入れとく?」と切り返す。私は「28歳にもなって自分が情けない。夢なんか諦めて真っ当に生きる。もう映画なんか撮らない」とかなんとか、泣き言を繰り返した。そのとき、壁に貼った『こおろぎ嬢』(尾崎翠著)の一節が目についた。”私は、年中何の役にも立たない事ばかし考えてしまいました。でも、こんな考えにだって、やはりパンは要るんです
「私は植物になりたい。感情をもたなくていいから」 22歳のとき、渋谷のスターバックスでMちゃんがそんなことを言った。 Mちゃんは新卒で仕事を始めたばかりだった。すこし疲れていたようにみえたけど、具体的な悩みは教えてくれなかった。 私は「植物になりたい」Mちゃんの気持ちがちょっとわかった。 わかっちゃったからこそ「逃げてる」と感じた。だから「植物だって生きるのに大変だと思う」と答えた。 この間、川上弘美さんの『某』という作品を読んだ。 その中で、こんなやりとりがあった。 「
「鑑賞用の植物を育てることと食用の植物を育てることに違いはあるか?」小石川植物園でもらったギンナンを調理しながら考えた。 イチョウは紅葉も綺麗だし、実を食べることもできる。 『イギリス庭園の文化史』という本に、イングリッシュガーデンは鑑賞用の植物を植える美的な側面と、食用の植物を植える実用的な側面の両方を備える庭であると書いてある。 なるほどイチョウは両方を持っているエライ植物だなと考えた。 だが、庭で食べられる植物を育てることを実用的だと素朴に考えていいのだろうか。 そ
東京の庭園を、色・カタチ・音・靴で踏んだ感触・園内グルメ・香り…と五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)それぞれに届いたものからレポします。 「水の姿に魅せられる」五感でたのしむ東京の庭園1 つづき 3、旧古河庭園JR京浜東北線 上中里駅 徒歩7分 東京メトロ 南北線 西ヶ原駅 徒歩7分 JR山手線 駒込駅 12分 入場料:一般 150円 視覚:洋館、紅葉、石、庭園に設置されたもの 聴覚:滝の音 触覚:固い土、洋館の木の床 味覚:紅茶、パウンドケーキ 嗅覚:木の香り 『鹿鳴
今年は例年よりあたたかいので、まだもう少しは紅葉が楽しめそう。というわけで、ひとり、都内の庭園をまわってみることに。 すると、色、カタチ、音、靴で踏んだ感触、園内グルメ、香り…と五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)それぞれにいろんなものが届いてきた。 五感を軸に庭園をたのしむレポです。 日本庭園って?庭園をまわる前に、日本庭園の歴史について少し調べた。 現在東京でみられる”日本庭園”は江戸幕府に仕えていた大名によってつくられた。 江戸時代に、大名家にとって”庭園をもつ”とい
何かを植えるとき、ターシャは月のことを考慮に入れる。本質的にナチュラリストであるターシャは、天体の状態ー月や惑星の相や合についてよく知っている。(p155,『ターシャ・テューダーのガーデン』、トーヴァ・マーティン著、相原真理子訳) ターシャ・テューダーは庭に何かを植えるとき、月の満ち欠けのことを頭にいれていた。 たとえば、「ニンジンやジャガイモのような根菜作物の種は月が欠けていくときに蒔き、葉の茂るハーブのような地上の植物は月が満ちていくときに植える」 バイオダイナミッ
前回記事・蓼科バラクライングリッシュガーデンレポでの記事追加。 右を見ても、左を見ても草がこちらに向かっている。 その隙間に光が差し込んでいる。 通りぬけたあとの、ぱあっと空が広くなるきもちよさ。 野良猫たちには普段こんな風に世界が見えているのだろうか。 そのうち、通り雨は行ってしまって、雨の雫が光を浴びて、キラキラと光りだした。庭園一面に、水を浴びた植物たちが、ぐわっとエネルギーを発散させているような生気を感じる。このテラスからは、イングリッシュガーデンを一挙に見渡
(※前回の記事とは違う視点で書き直しました) 今朝、多肉植物の葉から、根が出た。 葉挿ししてからもう1ヶ月以上たっていた。 私は、あっちにもこっちにも根がついているのを確認して、思わずヒエっと声をあげてしまった。 葉挿しとは、ちぎった親株の葉から子株を増やすこと。 本によると、多肉植物は葉に養分や水分をたっぷり持っているので、それを使って根を生やし、新しい芽を出せるそうだ。 切断された一部から新しい個体が出てくるなんて……まるでSF映画みたいだ。 私は早速、土と