「嬉しい」という感情について

嬉しいって思うときはいつだろうか。

他人から良い評価をもらったとき、思いがけず期待していたことが叶ったとき……色々考える中で私は「自分の思いが届いたとき」に嬉しいのだと気が付いた。
誰かのためになりたいと思って頑張ったこと、もっと周りを楽しくしたいと思ってやったこと、なにかを伝えたいと思って作ったこと……それらが届いた時に私は「嬉しい」と思う。

「自分の思いが届いたとき」と書いたが、本当は私の生活の中では、届かない思いの方がほとんどだ。

こんなにやったのに、好きになってくれない、喜んでもらえなかった、頑張りを評価してもらえなかったとか、つづればつづるほどに浮かんでくる。

だから、時々「届いた」ときに無性に嬉しいのかもしれない。

そして、私の「嬉しい」は忘れやすい。
そのときはとんでもなく明るい気持ちになるけど、すぐにまた届かないことばかりや思いとは関係ない毎日が続いて「嬉しくない」ことで心が凍ってしまう。

誰かがいなきゃ嬉しいって感じられないなんて、他人に依存していて嫌だなとも思う。もっと自家発電できる「嬉しい」はないのか。
だけど、私にとって「嬉しい」は多分、他人や他のものがいなくちゃダメなんだと気がつかせてくれる感情なんだと思う。

私は、誰かと一緒にいることよりも、どちらかというと、一人でいる方が好きだ。

そういう中で、この「嬉しい」はちょっと邪魔だった。
誰かに自分の気持ちをわかってもらおうとか、届いてもらいたいとかそんなことを思いたくもないって考えていた。
嬉しいは厄介だし、嬉しいと感じたいと強く望みすぎると、他人の評価ばかりを欲しがって苦しくもなる。

だけど「嬉しい」を思い出すと、心がふわっと舞い上がるような気持ちになる。
ああ、こうやってきてよかったのだと思う。
それは他のどんな感情とも違う。
生きているという実感に一番近い感情のような気がする。
呼吸し、考え、歩いてきたことを肯定してくれることだから。

私は、自分の心がどこか貧しい時、「嬉しい」と感じた時の気持ちを思い出すことにした。

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