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受けとる愛について
「愛とは与えるものだと思いがちですが、与えられた愛を受け取る愛もあります」
私は、中学・高校とキリスト教の学校に通っていた。
毎朝礼拝があり、日替わりでそれぞれの人が、思い思いの語りをした。
「受け取る愛こそ、イエス・キリストが実践したものです」
私はクリスチャンではないし、誰が話したのかも覚えていないのだけど、この言葉が心の中に残っていた。
たしかに聖書の中にはこんなエピソードがある。
イエスは重い皮膚病をわずらった人の家に行き、一緒に食事をする。
そこで、ある女性が高い香油を用意し、イエスの頭からかけた。
弟子は「その香油代で、貧しい人を救うことができたのに勿体無い」と言った。
しかしイエスはその言葉を遮って、彼女のもてなしを評価した。
当時、皮膚病の人は忌み嫌われていて、中々一緒に食事をとるということはなかった。また、女性の「香油をかける」という行為は突拍子もないことであった。
しかしイエスはその家に行き、もてなしを受け、愛を受けとった。
誰かがくれたものを素直に「ありがとう」と言って受け取ること、これは実は難しいものだ。
つい「大丈夫ですよ」と言って遠慮してしまったり、「これが欲しかったわけじゃないのに」と感謝しきれなかったり、「何か裏があるのでは?」といぶかしってしまったりする。
お遍路さんなども、各地を回る修行のなかで施しを受けるが、それはいただいたものを「受け取る」ということを学ぶためでもあると聞いたことがある。
たしかに身も知らずの人のお気持ちによって与えられたものを、すぐに「ありがとうございます」と言って食べることができるかといえば、とまどいが先に出て邪魔をするような気がする。
宗教の教えが強調するように「受け取る愛の実践」は難しいことであると同時に大切なことなのだろう。
人は与えることばかりを良いことだと思って、自分を投げやりにしてでも誰かにあげようとすることがある。
それも、かけがえなく美しいことだと思うけれど、その愛を受け取ることも実はとても勇気のいることなのかもしれない。
受け取る人がいなければ、愛は成立しない。
与える人がいて、受け取る人がいて、それを、さらに次の人に与える、そしてその人が、受け取って…と循環していければいいのだけれど。
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