あさみの時空旅行

78歳になり、自分の来し方を見返しています。40代の頃からエッセイを書いてきました。読…

あさみの時空旅行

78歳になり、自分の来し方を見返しています。40代の頃からエッセイを書いてきました。読み直すと、その時々の事が思い出されて、もう一度生きなおしているようです。忘れていたこともあり、今も変わらない気持ちもあります。書くことの意味を思い直しています。

最近の記事

あれから10年これから10年(続)

          (2019,3,20)  夫は50年前に医学を学び、「医は仁術なり」と教えられ、最高の医者であろうと、誠心誠意患者に寄り添ってきた。 徹底的に自然分娩にこだわり、休日でも夜間でも呼ばれたら飛んで行く。誰にでも気やすく声をかけ、若い妊婦さんと冗談を言い合う。 「よく説明してくれる」「よく話を聞いてくれる」「どんなことでも相談できる」。産婦人科だけに、言いにくい話も「井上先生には話せる」と患者さんには大人気だった。  富にも名声にも無関心、お金には全く頓着なく

    • これまで10年 これから10年

                   (2019,3,20)    このところ暇を見つけては畑の草取りをしている。我が畑は玉ねぎが四畝ほど植わっていて、そのうち一畝は隣の奥さんが使っている。あとは採り残った大根が数本、栄養不良の菜っ葉が黄色い花を咲かせている。草はどんどん伸びそうな勢いだ。最近ほどよく雨が降るので、土が湿り気を帯びて、とても抜きやすい。  この畑は夫がたいそう気に入って、植え替えのたびにバーク堆肥やし尿処理場の土地改良堆肥を入れていたので、とてもいい土になっている。表面

      • ちびっこ芋ほり

                     (2021、10,15)                      3年前から近くの保育園の評議員を頼まれて引き受けている。  あさひ保育園は井上医院ができる1年前の設立で、いわば同じ時代を生きてきた盟友だ。看護婦さんたちが大変お世話になった。  一年に一回会議に出るだけでいい。今年の評議員会で 「去年からコロナの影響で遠足に行けない」と聞いた。 それなら我が家で芋ほりをして貰ったらと伝えると、園長先生がとても喜んでくださった。  真夏には元気の

        • 初めての餅つき大会

                     (2019、1、21)  産婦人科の医院をしている息子が、餅つき大会をしたいと言いだした。 それも暮れの30日である。仕事納めを済ませてからと考えたらしい。  去年の夏休みの最後の日、我が家の庭でバーベキュー大会をした。キャンプ用のテントを持ち寄り、テーブルを組み立てて、ビールやお肉をしこたま買い込み、バーベキューのセットはリースで借りた。  看護婦さんたち、その子供たち、ご主人や業者さんなど男性を含めて総勢30人が集まった。 初対面の人も多かったが

        あれから10年これから10年(続)

          朝日祭

                   (2018、9、17)  高校3年生の孫娘の体育祭、今まで行ったことがなかったが、これが最後なので出かけることにした。3年生は恒例の仮装大会があり、夏休み中から勉強そっちのけで準備しているらしい。特に孫娘はダンス部なので、中心になってやらなければならない立場のようだ。  9月になって大きな台風が来たり、天候が不順で気温の変化も激しく、この一週間は曇りがちの天気だったが、その日は何とか晴れた。  仮装合戦は1時から、朝日高校の中に入るのは初めてだ。 大きな作

          ありのままで

                   (2018、12,10) 今まで必ず、月に一度髪を染めていた。 毛髪は一日に0.3mm伸びるという。30日で正確に1㎝白髪が出てくる。それが気になって必ず美容院に行っていた。  何度か白髪に戻すことを考えたが、どうしても決心がつかなかった。 ためらっていたのは、その途中の見苦しさを恐れていたためだ。 一年近くも、中途半端な頭でいることは許せない。   ありのままの 姿見せるのよ   ありのままの 自分になるのよ   何も怖くない 風よ吹け    少しも寒

          マイガーデン

               (2018、10,10)  今年の夏は本当に暑くて、連日35度越えの猛暑日が続いた。 冷房がきらい、などとは言っておられず、「いのちにかかわる暑さです」というTVの呼びかけに朝からリビングに引きこもり、畑に出るなどもってのほかである。 おかげで植えていたキュウリは早々と枯れ、水不足でトマトも茄子も実が太らない。 ただ、草だけはすくすく伸びて、マイガーデンは悲惨な状態である。  9月も中旬になって私の夏バテもようやく回復し、元気を出して畑の草取りから始める。 顔か

          アポイ岳 2

                    (2023,9,5)    二年前、私がアポイ岳の話をすると、山グループのリーダーWさんは、私の壮大な計画を何とかしようと思ってくれたらしい。Wさんは、北海道に20回も通っている山好きなのだ。 とはいうものの、コロナ禍はなかなか収まる気配がなくて、先の見通せない状況であった。  実を言うと、私は登る自信があるわけではない。まず体力をつけなくてはと、TRXトレーニングのジムに通い始めた。  TRXとは、上から吊り下げられたサスペンションを使って、身体の体

          アポイ岳 1

                     (2021、6、20)  今、卒論を書いている。 テーマは私の作っている古布画で、熊谷守一のことも書くつもりだ。  いろんな資料を集めたいと思っていたとき、福島の友人が、10年ほど前、熊谷守一を卒論に書いた人がいるよと教えてくれた。 「北海道の人でK・Yさん、時々フェイスブックに投稿しているから連絡とってみたら?」  気をつけているとたしかにK・Yさんの投稿。思い切って 「はじめまして、私は今京都造形で、熊谷守一のことで卒論を書いています」と自己紹介し

           10回目の那岐登山

                      (2018)  私は卓球の経験は全くないが、高齢になってもできるスポーツと知って、やってみたくなった。一人暮らしになって、時間はたっぷりある。近くの公民館などに電話して、初心者でも入れるところを探した。 備前体育館でのコスモス卓球クラブは少し遠いが、少人数で皆とてもやさしく、何もできない私を丁寧に指導してくれる。 リーダーのWさんは山好きで、月に一度は山を歩きましょうと誘ってくれる。  私も以前はハイキングクラブに入って近くの山歩きを楽しんでいたが

           10回目の那岐登山

          遠い記憶

                         (2018)    一年間だけ教壇に立ったことがある。 大阪府立S工業高校、1967年のことである。 環状線森ノ宮駅から東へバスで20分。あたりは小さな町工場が並ぶ住宅街で、味気ない灰色の町だった。  私は地図をたよりに学校を探し当て、一つ大きな息を吐き、意を決して校門をくぐった。  始業式で壇上に上がって紹介された。黙って一礼したが、600人の生徒が一瞬どよめいたような気がした。機械工業科と電子工学科で全員男子である。  1年生3クラスと2年

          地図のない旅

                       (2017、10)  久しぶりの東京である。 大学を卒業して50周年の同窓会、思えば遠い昔のことになってしまった。  楽しみな気持ちと何かためらう気持ちで新幹線に乗り、東京駅に着いた。 トイレに行きたくて手近な改札口を出たら、いつもと違う南口だった。 駅員さんにトイレを訪ねたら、「改札の中にあります、外ならここをずーと行って・・・」 やっと探し当てたら行列である。 ああ、さすが東京!  用を済ませて、まず大丸に行きたいのに、さっぱり場所が分からない

          復活 9回目の那岐登山

                    (2017,11,3)     夫に間質性肺炎という診断が下ったのは、今から5年前のことである。 はじめて聞く病名、原因も、したがって治療法もないという。  呼吸器科の医者である長男がそれを聞いて「えっ、 まさか!」と絶句した。  治療方針を模索しているときに、肺塞栓を起こした。しかし運よく発見が早かったので、事なきを得た。  また検査を重ねているうちに、肺がんが見つかった。とりあえずこちらの治療を、と抗がん剤治療が始まった。がんの方は初期だったのでほぼ

          復活 9回目の那岐登山

          おらんだのうま

                     (2020、10,4)  楽しみで毎日見ていた朝ドラの再放送が終わった。 「はねこんま」(1986年放映)、福島出身で明治から大正にかけて、女性新聞記者の草分けとして活躍した磯村春子がモデルだそうだ。  元気いっぱいの主人公おりんは初々しい斎藤由貴、夫は渡辺健。 戊辰戦争で心の傷をおった父親は小林稔恃、相馬の生まれで朴訥だが芯の強い母親は樹木希林。 祖父母は山内昭と丹阿弥谷津子。そのほかそうそうたる芸達者たちが脇を固め、今から34年前のドラマは実に見

          二万日後

          私は今から50年前(1963~1967)津田塾大学の数学科で学んだ。 卒業後は大阪の工業高校で一年教えただけで、数学とはあまり縁のない生活をしてきた。 ゼミの松阪和夫先生(1927~2012)ともずっと年賀状だけの関係だった。 それも先生らしい謹厳実直で無味乾燥な「謹賀新年」とある、面白くもなんともない賀状だった。        「二万日後」           (2012,12)             ある時、紀伊国屋の数学コーナーで松阪先生の「数学読本」(6巻)を見つ

          古典はどこへ行った

                       (2018,2,18)  断捨離がブームである。 自分の老い先が見えてきた今、身の回りの無駄なものを片付けることが大切なことは十分わかっている。  時々気になって、あまり着ていない洋服を大きなビニール袋に詰めてみたりするが、まだ何かに使えるかしら、窓ふきか車拭きになるかしらなどと思って、もう一度押し入れの片隅にしまってしまうものだから、いっこうに片付かない。  洋服以外はどうだろう。 本箱を空ける必要に迫られて、本箱を片付けることにした。 好きだっ

          古典はどこへ行った