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日記

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備忘録
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8月23日

タオルケットに包まって小説を読んでいたらふと春の宵が恋しくなったので、ネットで「春の午後六時」を注文した(『箱男』と春の宵との相関性についてはまったく分からない)。フミちゃんに教えてもらったサイトには、他にも「秋の午前九時」だとか「冬の午前六時」だとかの魅惑的な品々が取り揃えられているからいけない。実際に店で気になる品物を見かけたとしても、手に取ってしげしげ眺めてさんざんっぱら頭を悩ませている内に

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5月19日

 失恋したので中華料理を食べにいく。
 油でべとつくメニュー表や頭上を流れるポップソングが無性に鬱陶しくて私はつい料理を頼み過ぎた。
 餃子、春巻、ニラ饅頭、小籠包、麻婆豆腐、担々麺、回鍋肉、青椒肉絲、辣子鶏。テーブルいっぱいに並んだ料理はやらしいくらいに鮮やかで、今にもはち切れそうな餃子の腹に「ぶちり。」と犬歯を突き立てるとじゅわりと舌の裏側まで肉汁が染みた。瞬間、私の身体は焼け付くような空腹を

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5月1日

昨夜は終電を逃してしまったので深夜タクシーを使うことにした。
つかまえたタクシーには先客が乗っていた。アロハシャツを着た青い星だった。星型のサングラス。胸元にはハイビスカス。
どこまで行くのかときくと、むかし自分に願い事をしたひとに会うのだという。最近の星は地上でタクシーを使うのですね、というと「もう歳なもので」と優雅に微笑んだ(なお、今の主流はクロスバイクとのことだった)。
「どんな願いを叶える

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4月30日

今日はめずらしく昼過ぎまで寝た。
テレビをつけてみるとどのチャンネルも最近この町にやってきたサーカス団の話題でもちきりで、フミちゃんが目をまたたかせながら「お祭ですか!? お祭りですね!?」とはしゃぎはじめる。彼女は祭だとか記念日だとかパーティーだとかをめっぽうよく愛する女なのだ。そんなフミちゃんの空気にあてられて、ベランダ付近を浮遊していたUFOがグリーンやらイエローやらスカイブルーやらの光線で

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4月18日

 トイレから出られなくなった。
カギなんてかけていない筈なのに押しても引いてもオレンジ色のドアはピクリとも動いてくれず、こういう時にかぎって家にはわたし以外誰もいない。ドアのむこう側に置いてきた食べかけのアイスクリームのことをおもって、わたしはしばらく世界をじめじめと呪った。
 そのうちに飽きて、わたしは床に積んでおいた「孤独のグルメ【新装版】」を読みはじめる。
ああ豆カン。シュウマイ。カレー丼!

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4月6日

どきどきした出来事について。
今日は天気が良かったのでわたしはひとりで散歩に出かけることにした。通ったことのない路地を抜けていくつかの角を曲がり人影のない道をもくもくと歩き続けていると、いつの間にか見知らぬ墓地にたどり着いていた。
だれかが供えたであろう百合の花の香にくらくらとしていると、視界の端をピンク色の鋭い光が、ヒュンッと横切っていく。え、と思いながらそちらをみてみると、ひとりの若い女の人が

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4月5日

 夕方、知らない人から電話がかかってきて「死んだあと、学校のトイレにひそんでみる気はありませんか」と誘われた。
 なんでも近ごろ学校のトイレ人気は下降の一途をたどっており、びっくりするほど人手が足りていないのだという。「一度ひそむと癖になっちゃうんですよね、これが」とか「ギャラ、はずみますよ」とか、あまったるい湿っぽさをふくませて知らない声はそのように続けたのだけれど、生憎わたしは死んだあとは南の

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3月24日

 同居人のフミちゃんが、春一番に飛ばされて我が家のベランダに流れ着いてから今日でちょうど一年になる。

 女の子が生湯葉みたくペラペラになって物干し竿に引っかかっている光景を目の当たりにしたわたしはたいそうたまげた(あろう事に、おや見慣れないタオルだと思って伸ばした私の指先に、彼女は噛みつきやがったのだ)(がり)(のちに彼女は「お腹が空いていてつい」と笑いながら言ってのける)。
そうして私がたまげ

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3月19日

ジミ・ヘンドリックスとお茶漬けをたべる夢をみた。

つい二日ほど前にバイト先の後輩が彼の大ファンだと言っていたことを思い出しながら、おかわりどうしますかと尋ねてみる。するとテーブルの向こう側の彼は、深くうなずいて、市松模様の、すごくおおきなお茶碗を静かにこちらに差しだしてきた。梅干したべますか、と続けてきいてみると何もいわず首を横にふった。
夢のなかのジミ・ヘンドリックスはその後九杯お茶漬けをおか

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