沈黙は降伏①ー怖くても、声をあげる
ちょっと怖いタイトルになってしまいました。
今回は、留学生活で遭遇した”差別”にまつわる侮辱的対応と、それへの対応について書きます。
とても長いうえに、だいぶ私の主観や感情も入り込んでいますが、ご了承ください。
当たり前ですが人間関係があるところ、何かしらの衝突も誤解も生まれます。ある程度は仕方ないと飲み込んで前に進むことも、”大人”としては必要かもしれない。
それがわかっていても、今回は我慢できなかった。
それは、就任したばかりの新しい教授による授業でした。本人の意向で、授業はオンラインのみ。本人のキャラは、学生の前で「某業界(本人が所属する世界)では、俺はビッグだ」と自ら言っちゃうような人。高圧的で学生に発言を激しく求めるわりには、いざ学生が話し出すと途中で遮って自分の話を延々と始める、そんな人でした。学生も、教授の”地雷”がどこにあるのかわからず戦々恐々と様子をうかがう。
そんな感じで、最初の授業から緊張感が張り詰めた状態が続いていました。
毎回、レポートなり課題が出るのですが、そのたびに教授が念を押すように言うのです。
「英語が母国語ではない人たち(those who don't speak English as a first language) は、課題を提出する前に必ず”Writing center”に添削してもらうように」。
(”Writing center”とは、プロが文章や書き方を添削してくれる大学の施設です。論文や小説などなど用途は何でもあり、留学生でなくても活用する人も多いです)
最初に聞いたとき、「ん?」と思いました。そのクラスの受講生は30人ほどで、うち約半数は留学生。私も含め、確かに英語を母国語としない学生も多いです。とはいえ、ここにくるまでに誰もが大学院の授業についていけるだけの英語力を身に着けてきているはずです。事前の試験やなんやらを突破してきているのですから。英語力が万全でないことはだれしも痛感していて、それでも必死で食らいついているのです。必要なら、WritingCenterなり英語を母国とする人なりに添削してもらう大切さもわかっているはずです。
そして、SUは留学生がとても多いけど、こんなことをわざわざ学生に向かって言う教授には今まで出会ったことがありません。
「英語がイマイチなことぐらいわかってるよ…」と釈然としないまま、まあでも中には語学力が本当にひどいケースもあって教授が解読に時間と労力をとられるのがイヤなんだろう、WritingCenterの存在を知らない学生もいたし親切心もあるのかな、なんて思っていました。その時までは。
その後、教授はこのフレーズを毎回、授業で言うのです。「英語が母国語でない君たちは、発言するときも事前に整理してくるように」等々、後半の表現はさまざまですが、「英語が母国語でない君たちは」という冠言葉が必ずつく。
何かというと、このフレーズ。
その都度、カチン!と来ていました。。
なんかもやもやするなあ…すごーくいやな感じ。具体的には覚えていませんが、他にも似たようなニュアンスの発言もちょこちょこしていました。特定の誰かに対し、特定の言葉を投げつけたりするわけではないのでこちらも反論しにくいのですが、それでも毎回聞くたびにいやな感じは募ります。
でも、教授の緊張感・威圧感ただよう姿勢に米国人学生・留学生含め、誰も声をあげることもできませんでした。オンライン授業で学生もそれぞれ自宅などから個別に受講しており、「あの発言どう思う?」と気軽に聞くこともできませんでした。
そのうち中間試験があり、私は全力込めて臨んだにもかかわらず、なんと基準点を満たせず再試になってしまいました。我ながらショックですが、再試を認めてくれるというのでありがたく再挑戦しました。
再試はレポートで、教授が書いたいくつかの記事を読み感想を書く、というものです。人柄には疑問符が付きますが、教授が日々授業で言っていることは理解できる(というか世の中はすでにその流れよねということを話していた)ので、これは特に難しい課題ではありませんでした。何度か教授とメールでやり取りした後、レポートを仕上げて提出しました(もちろんWriting centerで添削してもらってから)
その他も授業が続き、課題も毎回必死でこなしながら、最終試験を迎えました。最終試験は、「これまでの授業の内容を受けた上で、今後の業界の展開を展望するレポートを作れ」というものです。私としては、特に難しいとは感じず、むしろ楽しく取り組める課題でした。レポートを作成する間も、何度か教授と「こんなテーマで書こうと思うがどう思うか?」「こういう資料を使ってよいか?」等々、メールでやり取りし、その都度、教授からは「それでよい」という回答ももらっていました。
無事に課題を提出し、クリスマス休暇に突入。しばらくして成績を確認したところ…なんと、ついているのは最低ランクの”C”です。えっ、まさか!
確かにこの授業はとても苦しんだし中間試験の成績は悪かった。でも、再試も提出した。すべての課題も提出し教授が教えることも理解し、一回も欠席せず、発言して授業態度も悪くはなかった。Aはないかもしれないが、課題の評価はともかくも、全体を通じて私の評価がそこまで悪いとは、とてもとても納得できない。
うぬぼれているわけではなく、冷静に考えても自分の状況で”C”は厳しすぎる、と思ったのです。
何でなの…理由がわからず不安や驚きなどネガティブな気持ちが渦巻く中、これはちゃんと私の考えを伝えねば…と思い、教授にメールを出しました。
「私の評価を見ました。これまでの状況から考えてとても納得がいかないのですが、なぜこのような評価になったのですか?」
教授からはすぐにリプライがありました。
「ああ、あなたか。あなたの最終レポートはひどかった。私が言ったことを何一つ理解していないし、言っていることも間違っている。だからこの評価になった」
私もすぐ、返答しました。
「教授、失礼ながらその評価は見当はずれに思えます。私のレポートを再度よく読んでいただけたらわかります。私は教授の発言も多数、引用しているし、主張していることも教授が授業でずっと仰って来たことと同じです。レポートを作成しながら、教授とも何度もやり取りしましたよね。もう一度読んでいただければ、ちゃんと伝わるはずです」
すぐにまたリプライが。
「それでは、あなたの中間試験の成績も悪かった。それが今回の評価の理由だ」
私
「中間試験では再試も提出したはずです。その時には教授は何の反応もなかった。その評価が悪かったのなら、なぜその時すぐに指摘していただけなかったのですか?」
アメリカの大学院では、教授は学生から質問があれば必ず対応しなければいけません。また、もし学生の提出課題が見当違いに思えたり、はたまた学生が授業にコミットしていないと感じたりしたら、それもまたその時点で学生に対し、教授が働きかける義務があります。教授の仕事には、それらもすべて含まれているのです。
そういった働きかけは、学期を通じこの教授からは一切、ありませんでした。
教授
「あなたのレポートの英語はひどい。なんて言っているかわからないから、この評価になった。今やり取りしているメールも、なんて言っているかわからない」
私
「レポートや課題は、あなたが言う通り、毎回Writingcenterで2回以上も添削してもらいました。このメールでの私の意図が伝わっていないというなら、一体何について反論されているのですか?」
教授はとうとう、ウソまでつきだします。
「中間試験での再試は”義務”ではなく、”任意”だった。だから、再試のレポートを提出したとしても成績のリカバーにはならない」
私
「いいえ、教授、あなたは再試は義務(requirement)と仰っていました。だからこそ私は提出したのです。当時、教授がそのように仰っている指示するメールも手元にあります」(当時のメールを添付して返信)
……もうこのあたりから相手は嘘をつくわ、ありもしない理由をでっちあげるわ、という態度に出てきました。論点をずらされまくるので、話はかみ合いません。
とはいえこうなるかもと事前に予想していたので、私はなるべく冷静に、ひたすら事実と私の要求を確実に相手に示すことを続けました。当初から、教授とのやり取りだけでは事は終わらないだろうな、との予感がありました。
最初のメールから、その教授は私たちの学科のアドバイザー(米国人の別の教授)をメールの「cc」に入れていました。もちろん私には断りなくですが、私はこの点について「やった!」と思っていました。この教授とのやり取りを二人だけの密室内の出来事にせず、第三者なりそれ以外の「目撃者」がほしかったからです。また、電話などではなく最初からメールでのやり取りに徹底したのも、なんらかの「証拠」を残したかったからです。
このようなケースの場合、水掛け論に終始し、さらに第三者の証人や、客観的な証拠がなければ、私が被害者だとしても不利になることは重々理解していました。だからこそ、最初の段階から上記の条件を満たすような環境にあることは重要だと思えました。
今回の教授のやり方はとても理不尽だと感じたし、この時点ですでに何かしらの形で告発したいと考えていたからです。
教授がここまで意固地になるのは、単に私が勉強ができないとか教授の主張にそぐわないから、ではない。これまでの授業の対応からもわかるように、私を含む留学生全般に対して、反感?敵意?のようなものが奥底にあるのが感じられます。
そこにたまたま、面と向かって言い返してきたのが私だったのです(この時点では、教授のこれまでの言動については私はまだ一切、本人に指摘してはいませんが)。教授としてはここぞとばかりに、やりこめる機会だと思ったのでしょう。
ちなみに、このアドバイザーの教授は私と教授が激しく応酬している間、一度も割り込んできませんでした。
メールのやり取りは続きます。
私
「私は成績の再評価を望んでいるわけではありません。ただ、私が今まで提出してきた課題を読まずに評価を下されたり、これまでの出来が悪いのをただただ黙って見過ごされたりしてきたのであれば、納得がいきません。私は勉強するために時間もお金も費やしてここにいるのです。教授としての義務を全うしていただきたいのです」
教授
「あなたの反論は意味がわからないから、読まない。僕はクリスマス休暇を楽しんでいるんだから、もう送ってこないでくれ」
私
「私もクリスマス休暇中です。でも、今回の教授の対応には納得がいかないからこうして何度もメールを送っているのです。教授は先ほどから嘘をついたり、論点をすり替えたりばかりで私の話をちゃんと聞いてくださっていません。教授がちゃんと向き合ってくださらないのなら、こちらにも”考え”があります。私は、今回のことに全く納得がいきません。私を過小評価しないでください。私のやってきたことが正当に評価される状況になるまで戦うつもりです」
教授
「”考え”とは一体、何のことだ…?」
私
「メールに書いたことがすべてです」
ここまで、最初のやり取りを始めてからほぼ1週間。毎日メールの応酬が続きました(休暇中というわりには、教授からはすぐにメールの返信がきました)。世の中はまさに、クリスマスから年末にかけてのホリデーシーズン。私も、アメリカに来てから初めての長い休みにようやく入れて、心底のんびりしたいのに。まさかこんなことになるなんて…と、泣きたい気持ちでした。
いいえ、本当にいっぱい泣きました。教授に面と向かって反論するなんて、しかも明らかに差別というか偏見的な態度をとってきた人に対抗するなんて怖いし、傷つくのも明らかだ。
でもやっぱり、許せない。点数や成績はもはや問題ではない。それより、私がそれだけの働きしかしていなかったと思われたことに納得がいかない。何を言っても取り合わず、否定的な態度で接するのも教授としての責務を放棄している。おそらく私がどれだけ良い課題を仕上げたとしても、彼の個人的な感情で有無を言わさず不当な評価を押し付けて平気な顔をしているのだろう。
沈黙は降伏に等しい。
このまま何もせず、抗議も反論もしなければ、教授は「このやり方でいいんだ」との思いをますます強めるだろう。私が声をあげても、教授には何一つダメージにはならないかもしれない。
それでも、どんな声でもいいから上げずにはいられない。そうでないと周囲は何が起こったか知らず、結果として「なかったこと」になってしまう。私や他の学生が傷つき不快に思ったことも、教授の横暴も、「なかったこと」になり、そして教授はおそらくそのまま職を続けるだろう。
そんなこと、見過ごせない。見過ごしたくない。
ふつふつと湧いてくる怒りと、一方で黒い雨雲のように広がる不安と怖れで、全身ががたがたと震えていました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?