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【コラム】勇気を出して恋をしてみた結果

「このようなテーマの記事を書くなんて、この人は恋愛体質なのか?」

そう思われるかもしれない。
しかし、私は真逆だ。

私は、27歳になるまで、恋愛に興味がなかった。いや、「意識的に優先順位を落としていた」と言ったほうが正確かもしれない。

それでも、遅ればせながら、最近になってやっと、恋愛に前向きになることができ、その結果、「愛」という感情を知るという、至極人間らしい経験をすることができている。

女性の活躍推進の潮流の影響で、もしかしたら私と同じように、恋をする機会を掴めずにいる女性もいるかもしれない。女性が社会で求められている資質と、女性が恋愛市場で求められている資質には、明らかに矛盾があることが一因である。

グローバル社会で自立することと、女性として恋愛を楽しむことの両立は、少なくとも不器用な私には、できなかった。

私のような「遅咲き」の女性も、懸命に生きてきた結果としてそうなっているだけであるという事実が、少しでも誰かの気付きや励みになったとしたならば、それ以上に嬉しいことはない。

私から恋愛を遠ざけたきっかけ

高校生の時、私は有難いことに、何人かの方から好意を寄せていただいていた。

私は当時、美容やお洒落も大好きで、外見的には「お人形のように女の子らしい女の子(※友人談)」であった。

しかしながら、内面的には、彼等の期待に応えられる心身の状態ではなかった。

人に話したことはないが(ここでは本名は使っていないので書けるが)、端的にいうと、当時の私は子供を産める身体ではなかった。受験勉強等によるホルモンバランスの乱れが原因であった。

私が子供を産めない身体であると悟った母は、高校2年生の私にこう言った。

「あなたは結婚して子供を産むことができないかも知れないから、一人で生きていけるようになろうね」
※高校生の時の母の言葉

(それだけが理由ではないが、)高校卒業後、私は英国の大学に進学することに決め、単身で英国に渡った

英国での大学生活と就職を含め、私は10代後半から20代前半の計5年ほど、英国で一人暮らしをした。(家族は心配しながらも、献身的にサポートしてくれた。感謝しかない。)

その5年間は、勉強と、グローバル社会でサバイブする能力の習得が最優先事項と考え、文字通り「全て」をそれに注いだ。

20代半ば迄の恋愛観

恋愛は、20代前半迄の私にとっては「嗜好品」に近い位置付けであり、優先順位が低かった。それよりも、良い成績で卒業すること・国際社会で自立できるスキルを身につけることに、一分一秒でも多くの時間を割くと心に決めていた。

そのため、恋愛は頑なに劣後していた。(機会があっても、毎回「彼氏がいる」と嘘をついて、丁重にお断りしていた)

一方で、人文学部に在籍していた私は、20歳を過ぎた頃、学問の一環として沢山の西洋絵画について学ぶ機会に恵まれた。意図せずも、それまでの私が目を背けてきた世界、即ち、「男女の恋愛模様」について、私は西洋絵画を通じて理解を深めることができたのである。

※西洋絵画には、歴史的に「愛」や「性」をテーマとしたものが多々ある。(聖書や神話に由来するものから、近代の生々しいものまで)

女性の身体は神秘的だと、我ながら思う。

西洋絵画を通じて、「愛」を(経験ではなく)知識として理解し始めた20代前半頃から、私の身体はホルモンバランスが安定し始め、子供を産める健康な女性のそれになっていったのだ。心が、女性として異性の「愛」を受け入れる準備をし始めたのかも知れない。

それでも、現実はまだ、恋愛の余地を私に許さなかった。卒業・現地での就職を経て日本に帰国してから数年は、仕事が忙しく、深夜になってタクシー帰りをする日々が続くことも珍しくなかった。合コンなども体力的に無理があり、一度も行ったことがない。

平日は仕事ばかりで、週末は睡眠と勉強に充てる日々(※私は人文学部出身なので、週末にビジネス関連の勉強をする必要があった)を過ごしているうちに、気がついたら27歳になっていた。

その頃やっと、留学前に手に入れたかったもの(ささやかながらも十分な収入、語学力、生活能力、学識等)を、決して完璧ではないものの、一定程度手に入れたように思えた。

しかし、「何かが足りない」という想いが過ぎった

ふと、長い間「後回し」にしてきたことがあることを思い出した。それは、恋愛経験だった。

急に、まるで高校生のように、純粋に恋をしてみたい気持ちになった

27歳から始めた恋

私の場合、長年、恋愛は「嗜好品」と本気で割り切って生きてきたため、恋心に浸り、幸せや快楽を追求することに、はじめは強い罪悪感を感じた

加えて、27歳で殆ど恋愛経験がないということに対して、好きな人に邪推されたり、嫌われたりすることを恐れてもいた

それでも、本や映画で描かれるように、大切に思える人がいること・守ってくださるヒーローのような男性がいることは、きっと殆どの女性が本能的に抱く「お姫様願望」をくすぐる幸せな夢である。

また、それ以上に、一人の異性と向き合うことで、お互いが人として成長できるような関係に、私は次第に憧れを抱くようになっていた

結婚適齢期の終盤とも言える、27歳から始めた恋。それは、苦しいこともあったが、学ぶことも多かった

・最初は、「好き」と「尊敬」の気持ちの違いが分からずにお付き合いし、優しい男性を傷つけてしまった(今でも心が痛む…)
・人を無条件に信じる性格であった私は、「裏切られる」という信じ難い経験をして、人間不信にもなった
・女性としての本来の私を知らないにも関わらず、私の学歴や外見等の表面的な「スペック」に惹かれてプロポーズしてくださった男性もいて、悲しい気持ちになった

それでも私は、恋愛から逃げずに、素直な私のままで、人を信じることを諦めないと決めた。

勇気を出して恋をしてみたことで得たもの

紆余曲折があったが、今は、奇跡的に素敵なお相手と出会い、「恋」が「愛」に変わっていくような安心感や、世界が明るく可能性に満ちたものであるかのような感覚を、彼から教えてもらうことができている。

私の弱さや未熟さも、全てを受け入れて「可愛い」と褒めてくれる彼の眼は、いつも優しい。

彼のおかげで、「一人で生きていかなきゃ」と背伸びばかりしていた20代前半までの自分が、如何に「鎧を纏った」状態であったかということに、気付くことができた。

今の私は、恋愛のおかげで「鎧」を脱ぎ、これまで以上に、自分らしく生きることができている

「愛」とは、お互いの弱さを受け入れ、自分よりも相手のほうが大切だとお互いが想い合えるような、温かい関係性のことなのではないかと、今は考えている。

例え「遅咲き」でも、不器用でも、勇気を出して恋をしてみてよかったと、心から思う。

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