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SEOガリゴリの記事って書いていて楽しくない

Webライターの仕事をしているとSEOガリゴリの記事を書くことが多くある。というか、基本がそう。もうどうやったら検索されるかをいつも考えて、キーワードを散りばめている。

これはWebライターあるあるだとは思うんだけど、それに慣れているとふとした瞬間に気持ち悪さを感じることがある。

俺は自分の職業を「物書き」と名乗っているのだけど、それは作家もやっているしWebライターもやっているしブログもやっているからに過ぎない。
全般を指して、書き物を仕事としているから物書きと名乗っている。

ただ昨今のSEOを意識しまくった記事を書いていると、非常につまらない。というか、「文を読む」とことを放棄した人間向けに書かなければならないのが苦痛。

noteに来ている諸兄には想像しにくいかもしれないが、世の中、字を読まない人間は徹底的に読まない。
そしてWebの世界はそうした人に満足してもらうWebページを作っていかなければならない。

だからこそ、Webライティングは以下が鉄則となっている。

  • ひとつの文章につき1つの意味

  • 「私はペンです」くらいの簡単な文章で書く

  • ひとつの見出しに文は三行まで

あほらし。ごっつあほらし。いやこれ作文やん、と思ってしまう。だからこそ俺はWebライターを「作文家」と呼んでいるわけだが。異論は認める。

ただこうした文章を書いていると、つまらないなーと思ってしまう自分がいるのだ。もちろん、読者層に合わせて濃い中身のページを作成することもある。要はケース・バイ・ケース。

とはいえWebの世界全般で、短文で読みやすい文字が好まれているのは事実だ。無駄に修飾することなく、個を殺して文を作ることを心がけなければならない。

これが非常につまらん。もちろん仕事なんだからちゃんとレギュレーションは守る。守るが、クソつまらん。

書いていても満足感がないのだ。なんというか、義務感で書いている。完全なるライスワーク。社会の歯車となっている自分がわかる。

Webライターは副業として非常に人気だ。多くの人が参入しては散っていっている。
だからこそ思う。Webライターってクリエイティブな仕事じゃないよ? と。やっていることはただの広告だ。クライアントのニーズに合わせて作文して提出するだけ。夏休みの読書感想文を代理で書くのと大して変わらない。

Webライターになりたいなーと思う人は、Webライターだけに集中した方が良い。良く動画やWebサイトでブログを始めると良いと書かれているが、個人的には練習用として使うだけに留めておくことをオススメする。

Webライティングとブログでは書き方が全く違う。同じSEOでも、“書く”好意そのものに違いがある。

だからこそ、文字を書いて飯を食っていきたいと考えている人は、Webライティングをすべきじゃ無い。ブログだけに注力するべきだ。もしくは小説家になろうとかに投稿するか。

繰り返すが、Webライティングは文字を書く充実感は皆無だ。クリエイティブな仕事をしている感覚も皆無だ。あるのは、ただの仕事。上司からの指示で業務をこなしているのと何ら変わりない。

それなら会社に就職して仕事をしている方が遙かにマシ。副業ならばそれで良いだろう。

だが、何者かになりたいのならWebライターにはならない方が良い。強烈な個を押し出せるのなら可能性はあるが、そんなのは一握りだ。俺を含めて大多数は、道ばたの小石と何も変わらない。

散文となってしまった。とりあえず何が言いたいのかというと、SEOを意識した文章は面白くないよねって話。
スカスカのWebページを見て何が面白いんだ。

もちろん画像やテーブル(表)を使ってわかりやすく説明してくれているのはありがたい。ただしそこにはしっかりとした息遣いが欲しい。文章を書いた人の魂みたいなものが、出ていて欲しいのだ。

本読みだからこそ思う感覚なのかもしれない。ただ、作文となったWebページにはそれが感じられない。ただ文字が羅列されているだけだ。そんなのは読んでいてクソつまらない。

昨今のSEOを悪いとは言わない。ただ、そうした記事ばかりが溢れたら面白くない世の中になりそうだなと思ってしまうのだ。

物書きはね、Webライターなんかするもんじゃないよ。そんなことよりも、ずっとやりたかったことを、やりなさい。

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