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このnoteは、24歳にして母の介護が訪れた私が、家族を愛し、自分を犠牲にしない日々を…

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このnoteは、24歳にして母の介護が訪れた私が、家族を愛し、自分を犠牲にしない日々を送るために綴ります。

最近の記事

ときどき仕事の話も

入社2年目、社会人になって1年半が経ちました。 常に目の前のことで必死で通り過ぎてしまったように感じます。 私は、福祉系の企業で法務や広報、経営企画をしています。 とはいえ、知識・実力不足で、まだ何も出来ていないし、 その事実が辛いため、少しでも「自分はこんなことが出来たんだよ」と思わせてあげるために、以下noteを書いていきます。 (これほど自己満足のための文章は他にないです) この1年半を振り返って 最も比重の大きかった法改正対応、プライバシーマーク更新・新規取得業

    • 母を介護する24歳の、今日のモヤモヤを少し沈めた、介護にまつわる論文のはなし

      今日、父親が要介護状態にある母親に心無いことを言いました。 介護のストレスがそうさせるのも理解できますが、下半身不随の母の辛さなどを全く無視した発言でした。 母はとても落ち込んでいるようでした。 要介護状態で、あらゆる自信やプライドが、これでもかとそがれる日々を過ごす母は、 そんなひどいこと言うんだったら出ていく!という冗談すら言えません。 そんな母を見ていられず、 「外に散歩に行こうか!」と母に提案し、私は車椅子を押して外に出かけました。 私にとっては3連休の初日で、

      • 介護の非対称性と「介護」の呼び名について思うこと 祖母のはなし

        物心がついたころから、私の周りには、介護で外出に不自由している人が常にいました。私の介護に対するイメージは、そこで形成されています。 私の記憶の中で最も古くて新しいのが祖母。 祖母は、それぞれ異なるタイミングで、次から次へと「身内」の世話や介護を引き受けていました。私が知っているだけでも6人の面倒を見ていました。 6人のうち、今も生きているのは私の母1人だけです。 幼少期の祖母の記憶 私は、優しくて控えめで真面目な祖母のことが大好きでした。 「○○兄さんの顔見ないといけな

        • 【在宅介護】要介護認定が下りました 

          50代の母は、脊髄空洞症という10万人に1人とも言われる病気を発症しました。 今年6月、その治療のため、手術を受けましたが、 病状は悪化。 手術の日まで歩くことが出来ていた母は、手術後、下半身不随となって 自宅に戻ってきました。 兄妹のいない私は、 母の介護と仕事を両立させたいと日々模索しています。 介護負担の割合が高いのは 同じく仕事との両立を試行錯誤している父の方ですが、 急激な状況変化に最も直面しているのは まさに母であり、 家族一同、満身創痍な約2か月でした。 それ

        ときどき仕事の話も

        • 母を介護する24歳の、今日のモヤモヤを少し沈めた、介護にまつわる論文のはなし

        • 介護の非対称性と「介護」の呼び名について思うこと 祖母のはなし

        • 【在宅介護】要介護認定が下りました 

          手術が決まりました

          母の手術前日に受診した健康診断で要手術診断を受けていましたが、 本日ようやく紹介状を手に、手術可能な病院を受診しました。 夏休み、せっかく9連休が取れたのに、 ここのところ3日連続で病院に通って、帰っては在宅介護と、 ことごとく楽しいことのない夏休みだなーって思います。 今日は検査をして、手術・入院の日取りが決まりました。 この1年と少し、 本当に外側からの刺激(環境変化、ショッキングな出来事等)が多すぎて、 今何が起きているんだっけと 状況把握と、そこに自分を追いつかせる

          手術が決まりました

          【河口湖】車椅子バリアフリー旅行

          河口湖に家族3人でバリアフリー旅行に出掛けました。 母が退院して初めての家族旅行です。 目的地は、車椅子でも安心なユニバーサルデザインの宿「富士レークホテル」。 館内が車椅子で移動できることはもちろん、 介護用ベッドや座シャワー付きバスルーム完備のバリアフリールームがある宿です(通常の客室が大半です)。 バリアフリールームの扉はすべて引き戸で、手すり付きのトイレ、車いすでも入ることのできる洗面台もありました。 さらに、バリアフリーの貸し切りのお風呂(有料)は、入浴用リフ

          【河口湖】車椅子バリアフリー旅行

          #今日のしあわせ時間 : 車椅子の母との散歩

          日曜日の夕方。 私は車椅子を押して母と家の周りを散歩しました。 母は両手を広げて風を感じ、とても喜びました。 それから間もなくして父が仕事から戻り、 ホットプレートを用意して、家族3人で焼肉を食べました。 母はまた、美味しいと言って喜びました。 「さっき、散歩に連れて行ってもらって、風が気持ちよくて、ほんと良かったんだよ」 焼肉の準備をしていた時、キッチンで母が父に話していました。 たったあれだけでこんなに喜んでくれていたなんて、、 「あれだけのこと」で喜べる尊さと、そ

          #今日のしあわせ時間 : 車椅子の母との散歩

          「お母さんのこと支えてあげてね」にモヤモヤ

          母の手術の前日、私は健康診断を受け、 まさかの要手術診断を受けておりました。 よりによってこんな時に、。 ショックと混乱の中、半泣き状態で健康診断を受けた病院から会社に戻り、 何事もなかったかのように仕事をしていました。 なぜ半泣きかといえば、 母が若いころ、同じ病気で手術歴があるためで、 明日手術を受け、万一のことも想定している母からの遺伝を、 このようなタイミングで、このような形で知ったからでした。 不運は重なるようですが、 そんなことよりも母の手術。そして介護。 いや

          「お母さんのこと支えてあげてね」にモヤモヤ

          24歳、介護のはじまり②

          私は昨日、地方配属になった大学の友達に、こんな手紙を書きました。 「ベクトル」を調整していくことが、noteで私が考えたいことです。 この記事は、私の介護生活が始まるまでの経緯を8年前から振り返った前回の続きとなります。 前回の記事はこちら↓ 杖を使うようになった母 私が卒業論文を書いていた頃、 母の足の動きが段々と鈍くなっていきました。 時間の経過とともに、体のバランスも取りづらくなっていき、歩ける時間が目に見えるほどに減りました。 そしてまだ50歳手前の母は、杖をつ

          24歳、介護のはじまり②

          24歳、介護のはじまり

          先日より、母の介護の日々が始まりました。 この記事では、私が介護を始めるまでの経緯を8年前から遡ります。 ようやく仕事にも慣れてきて、一人暮らしを始めるぞ、と張り切っていた頃でした。 母は、難病指定を受けている、脊髄の病気で手術を受けました。 この病気は、母が8年ほど前に、くも膜下出血で倒れた際の後遺症が原因で、 この手の手術で名医と呼ばれる先生のいる、自宅から100㎞離れた宇都宮の病院での手術となりました。 手術で完全に回復するという類の病気ではないため、 少しでも改善す

          24歳、介護のはじまり

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          先月24歳になりました。社会人2年目。 私が24歳になった日の1週間前、 母は、難病指定を受けている脊髄の病気の治療のため、手術を受ました。 先日退院し、自宅に戻ってきましたが、 手術前日まで歩いていた母との再会は、車椅子姿となりました。 母が自宅に戻った嬉しいその日から、 私の終わりの見えない介護生活が始まり、私の暮らしも一変。 様々なことが白紙からスタートしたかのよう。 なんだか清々しいくらいに不安でやるせない気持ちと共に、このnoteを始めます。 自己紹介 東京出身

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