24歳、介護のはじまり②

・・・自分の親を大切にしたいと思うこととと、自分の人生を楽しみたいと思うことのベクトルは、どうして逆だと感じてしまうのか。そんな風に思う自分も嫌だし、自分のことを嫌だと思わなくちゃいけない社会的な風潮も嫌だなあと思います。
今後、そのベクトルを、少しずつ調整していくことが、今後の私の人生の大きなテーマです。・・・

私は昨日、地方配属になった大学の友達に、こんな手紙を書きました。
「ベクトル」を調整していくことが、noteで私が考えたいことです。

この記事は、私の介護生活が始まるまでの経緯を8年前から振り返った前回の続きとなります。
前回の記事はこちら↓

杖を使うようになった母

私が卒業論文を書いていた頃、
母の足の動きが段々と鈍くなっていきました。
時間の経過とともに、体のバランスも取りづらくなっていき、歩ける時間が目に見えるほどに減りました。
そしてまだ50歳手前の母は、杖をついて歩くようになりました。

母が杖をついているのを初めて見た時、私はもちろんショックだったけれど、
まだ若い母が、
杖をつくという決断をした母の、
徐々に歩けなくなっていく恐怖感、
同年代の友人はまだバリバリと働いているのに、どうして自分だけ?という怒りや悲しみ、
杖をつくことへの抵抗感すら通り抜けてしまうくらいに
自分へのプライドを持てなくなってしまった虚しさとか、
そんな気持ちを乗り越えて、
杖をつくという決断をした母を、
私は強いと思ったことをよく覚えています。

病名が判明

私が社会人となって2回目の春。
母は家の中でも杖を使うようになっていました。
くも膜下出血定期検査を受けた時、
歩くこともままならない母の病気が判明しました。
病名は、癒着性くも膜炎、そして脊髄空洞症。
くも膜下出血を起こした際に、髄液と血液がなんらかの反応を起こし、癒着を起こしたことが原因のようでした。
その癒着が、髄液の循環を阻害し(癒着性くも膜炎)、それが何年もかけて悪化することで、脊髄の中にまで髄液が溜まり、脊髄を内側からも圧迫していきます(脊髄空洞症、難病指定)。
一度癒着を起こすと、進行するのみ。
手術で癒着を剥がし、髄液の通りを改善出来たとしても、いずれは進行してしまう。さらに、手術をしたことによって、再癒着は加速してしまう。そんな厄介な病気です。
主な症状としては、癒着を起こしている部分によりますが、
母の場合は、下半身の感覚喪失とビリビリとした痛み、脱力や麻痺、泌尿器系の不具合(頻尿、感覚喪失等)が起こりました。

病名が判明し、少し安心すると同時に、
この厄介な病気にどう向き合うか悩みました。
ただでさえ難易度の高い手術。手術をしても、結局のところ癒着は進行していく。
それでも、少しの間、症状が改善するかもしれない。
くも膜下出血の予防的手術を決断した際のトラウマも蘇る中、
この手の手術で名医と呼ばれる先生への紹介状を携え、手術を決断しました。

手術、退院、そして介護のはじまり

自宅から100㎞離れた病院での手術は、
コロナのため、もちろん立ち会いなどもできません。
7時間ほどとされていた手術終了予定時間を3時間ほど過ぎた頃、
病院から手術成功を知らせる電話が鳴りました。

数日後、母はリハビリを開始しました。
まずは、体を起こし、垂直にする練習、
そこから自分の足で立つ練習、そして、歩く練習。
術後1週間程度の経過は順調でした。

ちょうどそのころ、私は24歳を迎えました。
誕生日、病院にいる母から届いた誕生日カードは大事な宝物。
カードには、リハビリを頑張って、早く家に帰る。そんな力強い言葉が書かれていました。

しかしその日の午後、母はリハビリ室で転倒しました。
ケガはありませんでしたが、
突然足に力が入らなくなった母は、その日を境に自信を失っていったようでした。毎日やり取りをする母とのメッセージ越しに、それは伝わりました。

それからまた1週間がたち、母の足はますます悪くなっていきました。
初めはリハビリで改善すると言われていた足も、リハビリどころではなくなり、立ち上がることも難しくなっていきました。
数日前まで歩く練習をしていた時間は、
横になってのマッサージの時間に代わりました。

手術から3週間ほど経ち、父と私は
これ以上の改善は望めない、と主治医より説明を受けました。
それを聞いた父は、母を自宅に戻したいと言いました。
このまま入院していたとしても、施す手がないと判断した主治医はそれを許可し、
その2日後に母は晴れて自宅に戻りました。

約1か月ぶりに母と再会出来たその日から、介護生活もはじまりました。
ほとんど準備がない中での介護生活の開始となりました。
母の看病のために会社を退職していた父は、母のくも膜下出血の2回目の手術からしばらくして、見事転職を成功させていたため、
当面、父と私は、互いに会社を休みつつ、母をサポートしていきます。

8年前の後悔と今の後悔

くも膜下出血の予防的手術をもし見送っていたとしたら。
そんなことをつい考えそうになります。
手術をすること自体が癒着性くも膜を誘引してしまうためです。
今回の手術の選択と共に、8年前の選択まで
別の選択をしていたら、と考えそうになります。

そして、このように後悔できる今、
母の介護について悩むことのできる今を
懐かしく、羨ましく思う時が来ることも分かっています。
母の病気は絶えず進行していくため、在宅介護では対応できなくなる日がいずれ来るためです。

その日を想って、今はとことん悩みたい。悩める今を堪能したい。
そんな気持ちで、「ベクトル」の調整をしていきます。

自己紹介
東京出身、早稲田大学を卒業し、都内の企業で法務や経営企画をしています。このnoteは、社会人2年目にして介護が訪れた私が、家族を愛し、自分を犠牲にしない日々を送るために綴ります。

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