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「お母さんのこと支えてあげてね」にモヤモヤ

母の手術の前日、私は健康診断を受け、
まさかの要手術診断を受けておりました。
よりによってこんな時に、。
ショックと混乱の中、半泣き状態で健康診断を受けた病院から会社に戻り、
何事もなかったかのように仕事をしていました。
なぜ半泣きかといえば、
母が若いころ、同じ病気で手術歴があるためで、
明日手術を受け、万一のことも想定している母からの遺伝を、
このようなタイミングで、このような形で知ったからでした。

不運は重なるようですが、
そんなことよりも母の手術。そして介護。
いやむしろ、それを言い訳にして、
自分のことはできるだけ放置して、今日まで来てしまいました。

お母さんのことしっかり支えてあげてね

母からの遺伝はそれだけではありません。
自分が幸せになる努力を忘れがちなところもそう。

母の介護が始まってからもうすぐ1か月。
先日、介護保険の申請をしましたが、
母はまだ若いため(65歳以下のため)、介護認定が下りるかすらわかりません。

先が見えない今。
周囲の大人にこのことを話すと、どうかお母さんをしっかり支えてあげてね、とよく言われます。
そうなんだけど、、。

これからの私の人生は、仕事と介護しかないのかな、、。
この1か月でさえ、平日は仕事、時々仕事を休んで介護。土日は父の仕事が入ることが多いので私が家で介護。
休日に自分の時間を楽しむ、好きな時に外に出る、残業する、どこか旅行する。
そんなこれまで手にしていた「自由」がどこか遠くに行ってしまったように感じます。
楽しみにしていた一人暮らしもこのままでは難しそうです。
何よりも、今の私には、それが将来にわたって約束されている
としか思えていないことが最もツライ。

母を支えるなんて、条件反射的にやろうとしてしまうし、
今の自分は、少なからず母の支えになれているという実感が間違いなく「生きがい」になっている。

でも本当に私の人生、生きがいはそれでいいのだろうか。
半強制的に「生きがい」を与えられている現在の在宅介護生活に甘えて、
自分が幸せになる努力を怠ってはいないだろうかと日々考えてしまいます。


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