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#今日のしあわせ時間 : 車椅子の母との散歩

日曜日の夕方。
私は車椅子を押して母と家の周りを散歩しました。
母は両手を広げて風を感じ、とても喜びました。

散歩の途中、見上げた空とひまわり

それから間もなくして父が仕事から戻り、
ホットプレートを用意して、家族3人で焼肉を食べました。
母はまた、美味しいと言って喜びました。

「さっき、散歩に連れて行ってもらって、風が気持ちよくて、ほんと良かったんだよ」
焼肉の準備をしていた時、キッチンで母が父に話していました。

たったあれだけでこんなに喜んでくれていたなんて、、
「あれだけのこと」で喜べる尊さと、その土台にある辛さをまた目の前にしてしまいました。

気持ちいい、美味しい、嬉しい、楽しい、面白い、、
明るく振る舞い、プラスの感情を目一杯表現する母を見ていると
嬉しくて辛くて、涙が出そうになるから、
私は卑怯にも、その様子を今は充分に直視出来ません。
いや、その姿に私がひどく助けられているから直視出来ないのです。

誰かの役に立てていること、誰かに助けられていること。
そんなことを常にと言ったら大げさかもしれませんが、
自分が辛くなるくらいに感じられる
今の私の介護生活。
それなのに、私はどうして自分のことを
自由を奪われた悲劇のヒロインでもあるかのように
捉えたがっているのだろうか。

もっと楽しそうにしていいし、もっと嬉しそうにしていい。
そう思います。


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