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「命の洗濯」の思い出(日記 6/19〜6/21)

6月19日(水)
義母の知人からメロンをたくさんいただいた。義姉(夫の姉)のところにもお裾分けをするべく義母が電話したところ、午後に姪と一緒に取りに来た。お茶を飲みながらいろいろ世間話をしていて、ある一件について義姉はまったく悪気なく言っていることだけど、私は内心ムッとしてしまった。腹が立ってここにいったんは詳しく書いたのだけど、あまりにも自分が小さい人間に思えて、消して書き直してた(笑)。

この件と、先月ももうひとつ「え…それって…」と義姉にわだかまりを覚える出来事があって、その時もここに書きかけては消した(笑)。

どちらの出来事も、自分の気持ちをもう一度つぶさに見つめて分析すると「私がやっていることに対してもっと感謝してくれてもいいんじゃないの?」という思いから来るものだということだな、と気づいた。ああ浅ましい自分が嫌だ。でも、こうして気づいただけ良しとしよう。こういう時は本を読んで没頭して、もやもやした気持ちを頭から出してしまうのが一番いい。

6月20日(木)
来月頭の東京行き、仕事当日の始発の新幹線では間に合わないので前日入りする。でも2泊するのは義母に悪いかなと思い、仕事が終わったら夜の懇親会を途中で退席させてもらって最終新幹線で帰るつもりにしていた。ところが、夫が夏季休暇を取れる時期に入るため1日休んでくれるらしく、2泊できることに。これで久しぶりに会う人たちとも懇親会でゆっくり話せる。嬉しい。

そろそろ秋のステージに向けて楽譜を書かねばならず気が重い。今年は腰と足の痛みがあるので同じ姿勢でずっと楽譜に向かうのが辛そうなので、早めに少しずつ小分けにしてやっていかねば。

6月21日(金)
今日は夫が京都へ日帰りで出張。しかも息子が学生時代に暮らしていたマンションから徒歩2分の場所。なので夫も「勝手知ったる」という気持ちのようで楽しみにしながら出かけて行った。

息子が学生時代はまだ義母ももっとシャンとしていたので、1年に1〜2回、私は何かと理由をつけては自分の「命の洗濯」のために息子のマンションに数日滞在していた(義母は「部屋を掃除しに行く」という口実だと「行ってあげなさい行ってあげなさい」とすんなり送り出してくれた。もちろん掃除などしなかったが笑)。息子と一緒に出かけることもあれば、彼自身が居てもいなくても滞在させてくれて(実際、サークルの集まりでどこかへ行ったままのこともあった)、その間、徒歩や自転車で目的もなくぶらぶらしたり、京都のお寺に嫁いだ私の高校時代の友人と会ったり(ここ参照)、本当に気ままに過ごしていた。息子が「大学の授業受ける?」と言ってくれたこともあり(笑)、モグリで受講したりもした。

ユニットバスが好きではないので、私はこれまた徒歩2分のところにある銭湯へ通った。これも私にとってはすこぶるストレス解消になっていた。全身ホカホカに温もり、夜はいつもびっくりするほど熟睡できたものだった。収納場所があまりないマンションだったので客用布団を置く場所などなく、私は寝袋で寝ていた(笑)。それもまた非日常で楽しかった。

今でも、あの頃の自由になれた数日のことを考えると、なんとも言えない風通しの良さを心に呼び起こすことができる。さっき「命の洗濯」と書いたが本当にうまい日本語の表現があるものだなあと思う。仕事、同居、さまざまな人間関係などで命に染みついてしまった汚れを、きれいに洗い流してしまうのだ。そしてまたピカピカになった命で再スタートを切るのだ。

今はなかなかそんなことはできず、もしそうしようと思うならかなりの根回しと準備が必要になる。今度の東京行きを一泊増やすのも難儀した(それでもまだ出かけることができるだけ幸せだが)。そんな自分にとっては、あの頃の「命の洗濯」の思い出を持っているだけでも心にゆとりができるというか、ちょっとした「お守り」になる。だから、今、これを読んでいる方でそういうことができる余裕があるならば、悪いことは言わないからできるときにしておく方がいい。今のあなたはもちろん、後のあなたを救ってくれると思う。

#日記 #エッセイ #義母 #義姉 #夫 #仕事 #東京 #京都 #息子

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