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【エッセイ】九九

 算数が苦手で、かけ算の九九もあやしい部分がある。とくに七の段なんかは素早く答えることができない。
 そんなことを言うと、必ずと言っていいほど「じゃあ七の段を言ってみてよ」と言い出すひとがいる。それはカエルが苦手な人にカエルを突きつけるような、泳げない人に泳ぎを強いるような、残酷な行為だ。
 私が心許なげに七の段を言ったとして、それを確かめてどうするのだろう、と思う。もし言えなかったら、責めるのか、慰めるのか。(こういうとき、私は絶対に七の段を言わない。)
 ある漢字が読めなくても幕府の将軍が言えなくても「得手不得手もあるよね」くらいで済むのに、九九だけはできなければ悪だというような風潮がある(ように感じる)。
 しかし大人になってから、電卓が仕事のお供になり、九九を使う場面は少ない。日頃の買い物はだいたいの値段や個数がわかれば不自由がない。九九の暗記がおぼつかないことを責められる筋合いはないのだ。
 たしかに、九九を言葉で覚えるのは効率的だし、先の人生で大いに役立つ。しかし本当に大切なのは、かけ算の仕組みを知ることなのだ。
 七の段が言えなくても、それ以外の段が言えれば問題ない。だって、7×3は3×7と、7×9は9×7と答えが同じだ。もしそれもままならないなら、○を書いて数えればいい。縦に7つ、それが横に3つ。これがかけ算の仕組みなのだ。
 本質を見よ。七の段がおぼつかない私は、開きなおって偉そうに心の中で主張する。
 苦手なことがあっても、たいていは他のことで補える。だから何か一つができなくても絶望することはないのだ。トータルで帳尻が合っていればいいじゃないか。
 それが世界の優しさだと思う。そう信じている。

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