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【エッセイ】まぎれもなくすてきな1日

 たいへんに、物をもらう1日だった。それも、好きな食べ物ばかり。
 夜になってそのことに気付き、ぼーっと過ごすばかりではいけないと自分を戒めた。

 朝、新しく働くことになった方から、栗ようかんをいただいた。遠くから、ここで働くために引っ越してきた。その、ふるさとのようかんだった。
 同僚が、切り分けてラップにくるんでくれた。弁当のあとに頬張る。上品な甘さの、どっしりとして食べごたえのあるようかんだった。

 その後、同僚が自宅で漬けたというイクラをくれた。味が薄いかもしれないけど、と言っていたが、水っぽくなくて、とてもおいしかった。イクラは、数少ない好きな食べ物のひとつだ。ぜいたくに、ごはんにかけて食べた。
 昔、祖母が漬けたイクラは塩だったが、世間では醤油漬けが一般的なのを大人になってから知った。今回のも醤油漬けで、やさしい味がした。

 職場で2番目に偉い方がいつも、外販にくるヤクルトとパンを買ってくれる。もちろんねだっているわけではないが、くれるのでありがたくいただく。ヤクルトが2本。パンはドライフルーツが入ったモチモチでどっしりとしたやつだ。明日の朝ごはんになる。

 帰る頃になって、3人で近くのから揚げ屋に行くことになった。2人は弁当を買っていたが、私は夕飯のあてがあったので、砂肝のから揚げにした。
 支払いは上司がもってくれた。そして、自分では頼んでいない鶏天が一緒に手渡された。遠慮したと思われたのかもしれない。上司が、鶏天を追加してくれていた。

 夕飯のあてというのも、母から弁当が届くことになっていた。とあるイベントの弁当で、うちでは食べきれないから、ということである。
 母は、私の帰宅にあわせてコンビニ帰りに弁当を置いていった。袋をのぞくと、弁当は大きな肉が3枚のった豚丼だった。コンビニのシュークリームが添えられていた。

 普通の1日だった。
 しかし、なぜだか食べ物が豊富だった。
 今日1日でもらった食べ物を思い出し、ぜんぜん普通じゃないことに気付いた。なにしろ、普段は食にあまり重きを置いていないので、家にある食べ物は限られている。そこに、イクラがある。鶏天がある。シュークリームがある。どうしちゃったのか、という事態である。
 危なかった。もし振り返らなければ、この日の素晴らしさに気づかなかったような気がする。
 このごろは、良いことも悪いことも特にないような平坦な毎日だった。でも、この日は良いことがたくさんあったと自信を持って言うことができた。
 実は、私が平坦だと感じた日々の中にも、隠れた良いことがあったのかもしれない。
 悪いことは隠れたままでいてくれてかまわないが、良いことは良いことだと認識したい。
 その時は嬉しいとか、良いことあった、と思うのに、そのあとの時間を過ごすうちに、記憶をどこかへ追いやってしまうらしい。
 私の脳のすみには、そうやって追いやった良いことの記憶がぎゅうぎゅうに詰め込まれているのかもしれない。

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