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書くこと、読み返すこと

昔ほど、自分が書いたものを読み返さなくなった。
それはブログでも、アナログの手帳でも。

書いていることの大半はネガティブなことだ。
でもネガティブなことを書きたくて書いているわけではない。
日々の大体の時間はネガティブな感情や思考で支配されているから、それをそのまま書いていくとネガティブ9割のブログ/手帳になる。

昔はそれをわざわざ読み返していた。
一種の自傷行為だったのかもしれない。
自分をあえて苦しめるようなことをしていた。

最近は読み返すほどの気力が残っていない。
読んで再び落ち込むようなことをする力がない。
これはいいことなのかもしれないが。

だがそうすると、なんのために書き残しているのか、という問題が浮かぶ。
些細な日々のことを書き残しておかないと、絶対に忘れてしまう。
忘れてしまうということは、なかったことと同じなのではないか。
些細な感情や思考がなかったことになる。
それはなんだか、悲しいし虚しい。

読み返さないのに書き残すのはなんのためなのか。
私がポジティブ9割の書き物をすればいいのかもしれない。
でもそれは私の日常ではない。

書き終えた手帳やノートをどうすればいいのか、いつも迷っている。
潔く捨てるのがいいのか。
ちゃんと残しておくべきなのか。
いつか読み返せるようなメンタルになるときがくるのだろうか。

このnoteだってそう。
嵩張る物ではないから、思考をそのまま書いて世に放り投げている。
放りっぱなし。
何か目標があるわけではないし、読み返すために書いているわけでもない。

書くのは好きだ。
好き、というか、自分を構成する一部だと思っている。
中学生の頃からずーっとブログを書いてきている。
ただ最近は、書き残すことの意味について深く潜って考えてしまう。

明るいことを書ければ、こんなぐじぐじ考えなくて済むのかもしれない。
書く書かない以前に、私の日々がハッピー9割になればいいのにな。
それはたぶん、ハッピーな出来事が頻発するのではなく、私が些細なことでもハッピーと感じられる状態になることで解決するのだと思う。
ここまでわかっているのに、それが難しい。

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