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生きてる事の美しさをひとつぶの涙で例えよう。

生きてる事の美しさをひとつぶの涙で例えよう。

そう思った。

脳みそも体も全てがドロドロと液体になって絵を描き続けている私は、その大きな泥を何か一つの纏まった形にしたかった。

私の描く絵には度々「涙」が出てくる。
これは、軽率な涙では無い。並大抵のことで流す涙では無いのだ。

人は感動すると涙を流す。人は痛みを感じると涙を流す。いろいろ涙の種類があるが、私の描いている涙は「生きてる事の美しさ」全体を表している。

人間の核の部分に入り込んだ、染み込んだ傷がじわじわと広がっていき、呼吸が苦しくなるほどに縮こまった心臓から抽出した「涙」である。

私は、ご飯を食べてる時に幸せを感じる。好きな人といる時に幸せを感じる。
ただ、苦しい時にも幸せを感じるのだ。

もがいてもがいて、バタ足を繰り返して水面にはいでる。そこでようやく吸えた酸素が送り込まれた脳みそは、なによりも美しい幸せを感じる。

自分でもしっくり来る言葉が見つからないので、あくまで薄く伸ばして、分かりやすく例えると、
「私の描く涙は、私の生き様が凝縮された形」ということだ。


私は生きてることを感じる時に涙を流す。
指を突っ込んででも吐く行為なんて人間の塊じゃないか、なんて思ったりもする。

「命」というよりはこの世に生まれ落ちた「人間」の「らしさ」に感動し、その美しさに涙が出てくる。

私が今まで自傷してきたこと、精神病で苦しんできたことは「涙」が発動するトリガーではあるし実際何度も流してきた。
しかし私はその先にある、「この苦しみを味わったがゆえに零れ落ちた涙の美しさ」は、やはり先程も言ったように「生き様の凝縮」なのだった。


だいぶ長くなってしまったが、その様な感覚で私は涙を描いている。
私が描く絵の女の子は、どれもが私だ。
色んな受取り方があってももちろん構わないが、私の描く涙が伝えたいことは「生きてる事の美しさ」である。


私は感覚で物を捕える傾向が強いので、毎回簡潔で纏まった文章が作れないのだが、今回はこんな感じで終わろうと思う。

「涙は生き様の凝縮」だけうっすら記憶においておいてくれたら、また私の絵を見る時違った感情が湧き出てくるのではないかと思う。

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