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わたしの居場所 ― 『石に話すことを教える』


ガラパゴスでアシカになりたい… 断崖のパロサントになりたい。

ラリーは石と話す? 手のひら大で楕円形をした浜の玉石。

濃い灰色で、中まで貫通している白い帯がぐるりと取り巻く石。 ウィッシング・スコーン(願いごとの石)。

棚の上に置き、カナリア用の布が掛けてある。

さらに石は小さななめしていない皮をかけて保護している。

レッスンするときだけ、正確に言えば、一日一回の儀式の時だけ石のカバーを取りのけるのだ。。

何のはなしかと言えば、アマゾンでは買いたいなぁ・・という候補をブックマークしておくことができますが、中にはいつまでももんもんとしている購入候補があるのです。

『石に話すことを教える』という本で、買うことも諦めることもできずにいる。

とても不思議な題ですからね。

作家のアニー・ディラードが書いたもので1993年の出版。絶版です。

出品されている中古品でも¥5,479よりとなっていてすごくお高い。

で、ふつうの本の場合何人かの人がレビューを書いていてくれてそれを読んでじぶんが買うかどうかを決めますが、これは誰も書いてくれていない。

で、なぜ諦めきれないのかというと、

商品の「説明」では、『凝視しながら人生を考える。ピュリッツァー賞作家の「これが私本来の仕事」。知性がピリリと利いた随想14篇。』とあるからです。

おお、、ピュリッツァー賞作家なのか、エッセイなのかとわたしのアンテナ3本立つわけです。

その「説明」の下にはもうすこし詳しく「内容」、というのが書かれています。

『ソローを愛読し、自然のきめこまかな描写に優れ欧米で高い評価を得ているピュリッツァー賞作家の、自然の中に分け入って描いた随想14篇。

彼女は寡作だが、たまに本を著わすと、いきなりなみいる作家たちの頭上高くを飛びこえてしまう。』

おお、、女性なのか、そりゃそうか、アニーだものなと妙に感心し、「寡作だが」と言われるともうたまらない。目には見えない4本目がぴんと立つ。

自然を愛し孤高をつらぬくそのオンナ魂に触れてみたいっ!

読んでみたいっ!

でもね、送料まで入れおよそ6千円もする本ってそうそう買えませんよ。

高級お肉じゃないんだから、法外ですって。

もちろん清水の舞台からえいやーって飛び降りてしまえば買えなくは無いけれど、わたしとしては文字たちに出せるのは1冊、2千円ほどが上限。

ユングがどうしても欲しくて5千円ほどの「赤の書」を衝動買いしたぐらいしか記憶に無いレベルの金額なんです。

じゃあ諦めればいいじゃんってなるけれど、だめ。

ふつうなら、エッセイにこんな高価なお金を出す気はないのですが、この本のタイトルがいけないんです、やばいんです。

『石に話すことを教える』。。しろうとを手玉に取るような、なんて魅惑的なタイトルなんでしょう。

不思議でわくわくさせるフレーズにいったい何が書かれているんだ?

ねっ、あなたもそう思うでしょ?

わたしは蛾にメタモルフォーゼしアニーの放った灯りに吸い寄せられてゆくばかり。

どうしても逃れられずにブックマークのアニーが頭から離れないっ!

ああ、、、でも、お高い。

もう1年ほどあれこれと眺めてはため息をついて来たのです。もんもんと。

便利な世界が来ましたね。

ネットでぷちっと押しておくと宅配してくれる。数日もかかりません。

ネットで調べると、味や触感以外ならなんでも分かります。

さらに本はレビューワーという種族のひとたちがいっぱい居てくれる。

その種族は、①中身を理解し、②それをうまくとりまとめ、さらには③読んでみたいっていう気にさせる。

わたしには②と③の才能がないんです。

わたしは思考が内に向く傾向にあるので、他者に表現するという外への機能があまりよろしく無いです。

母がわたしを産み落とす際にきっとそれをどこかに置き忘れてしまったんでしょう。

レビューワーはわたしにとってかなり感謝、感謝のひとたちなんです。

で、その頼りのレビューワーたちの意見が伺えない。じぶんでせっせと調べてみるしかない。。。

まずは、彼女の写真を調べました(Upしました)。

かなり魅力的な外見をお持ちの方だということが分かります。

そして野性味を帯びた知性の目をしてる。

で、もし性格が良ければ、こうりゃもう石だって彼女の言うことならさぞよろこんで聞くことがうなずけます。

で、21世紀の恩寵(おんちょう)、ウィキペディアをのぞくとなんとまあ、冷たい。

『アニー・ディラード(1945年4月30日 - )はアメリカ合衆国の女性エッセイスト。

ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。ヴァージニア州ロアノークのホリンズ・カレッジに学ぶ。

1974年『ティンカー・クリークのほとりで』でピュリッツァー賞受賞。同書はネイチャーライティングの一つとされる。』

以上、終わりっ!

検索を諦めずにしてゆくと何人かが読後メモを残していました。

『ここにあるのは沈黙だ。

一万余の事物が溶け合い衝突し合い響かせる沈黙。

イタチと目が合う一瞬に、食用のために縛り付けられた鹿、爆発し膨張し続ける星、細胞分裂を繰り返す苔、海を浮遊し増殖するマングローブに何を見るのか。

自然を愛することは、沈黙に耳を澄ませ祈ることではないか。

また、その圧倒的な世界の姿、耐え難い孤独と闘おうとする一つの姿勢ではないか。

そしてそれが出来るのは、人間だけなのだとはたと気付いたとき、生命の力強さと儚さと複雑さを感じた。

美しく静かな余韻を残す素敵な一冊。』

素敵な一冊。。

おお、、でも、なんだか分からない。分からないけれど、どうもアニーは自然と魂に関する本格投手のようです。

もっと意味が分かる人を捜しました。別な人はこんな記録を残していた。

『ネイチャーライティング。だからといって多くの人々がイメージするような自然讃美ではない。

自然という与えられた条件の中で進化し、今ここにいる私という存在を探るまなざしがここにはある。

それは捕えられ、食われるためにこれから殺されなんとする子鹿を見つめる冷静なまなざしでもある。

「極地への遠征」が白眉だ。

彼女の、キリスト教の神への複雑な思いと、極地へ--そして死へ--赴く探検隊の記録が「相対的に到達至難の極点」というキーワードで結ばれる。

アニー・ディラードの書くものは、自然そのものではなく、彼女の内なる自然だ。』

そうかそうかっ、アニーは内なる自然を通して究極の存在に触れようとしたのか。

そういうタグイの世界を表現しているものだから、読み手はいきおい、みんななにやらやたらと難しい表現をとってしまうのか・・。

『世界が語りかける言葉を知ること、石に話すことを教えること

――固い沈黙を少しでも溶かし、無窮の宇宙、果てない大地に、持てるものだけ、身体感覚だけで相対し、観察し想像し瞑想する。

自分の中の夾雑物を消そうと努め、引き潮に攫われずに残ったものを手がかりに新たに生き始める。

ディラードの強靱さに怯むのは私の世界への怯えだ。

『極地への遠征』は原著通り二番目に読みたい。

作家の葛藤が伺われ安堵の様なものを感じた。

阻むものを乗り越えて、先人達が到達したいと願った極地に達しようとする熱が切羽詰まった瞬間を物語と変容させている。』

あの写真の目のように、アニーは読者にも挑むのです。読者をおびえさせる悪いコ。

この方はコメントも残していて、

「この作品集を読むとノンフィクションとフィクションの境目などないと感じられる。

作家の技巧と眼差しによって、言葉が言葉を生み出す過程を物語として生成する」と。

蛇足ながら、もうひとりはこんなことを。

『彼女の文を読んでいるとガラスを知らない生物になった気分になる。

手に触れられる距離にあるのに何故か触れない、この世の自然を全てを封じ込めてあるのに動く五感は視覚のみであとは知覚するしかない。

後半に進むにつれて五感は少し機能し始めたのでガラスではなく氷だったのかもしれないけれど。

希有な文体だし、このエッセイ集はかなり人を選ぶだろう。

自然を見て内省することを極めてる。とても素晴らしい。「極地への遠征」が好き。』

ガラスを知らない生物になった気分になると言ってました。

たしかに読み手を選ぶ本だということが分かる。

でも、沈黙に耳を澄ませ祈ることはわたしにも時折必要なことです。

先人達が到達したいと願った地への道。

わたしも、ぜひ触れたいっ。

P.S.

彼女の本は他にも訳されていて、『本を書く』というのもありました。当然、これも絶版本。

こんなレビューが寄せられていました。

『この先、何度も読むであろう作品と出会った。ピュリッツァー賞授賞の著者が綴る自身の作家生活。

そこには「作家にとって本(文章)を書くとはどういうことか」が精細かつ情緒豊かに記されている。

《プロセスに意味はない。跡を消すがいい。道そのものは作品ではない。》と説くだけあって、全編ムダを落とした端正な文体が並ぶ。

また、ふんだんに散りばめられた美しいメタファも印象的だ。』

かなりやばい。中古品のお値段はと見ると、4600円。おお。。。

¥5,479かと何度も考え込んだじぶんが突然、これなら1000円も安いじゃないかっ!と大発見する。

わたしはこっちが安いっ!ということに目が奪われ、お高いことはすこしも変わりがないのに、すっかりお得感に満足する。

別なレビューもありました。

『作家にとって本を書くとはどういうことか。

そのシンプルなテーマを、まるで大木にノミで模様を一心に彫り込んでいくようなスタイルで語り続ける著者の言葉が、冷静でとても美しかった。

こういう姿勢でどのような本を書きあげていったのだろう、と思わされた。薄い本ですが、濃い内容です。』

けっきょく、アニーに触れたいのはじぶんには欠落している何かを彼女が差し出していると予感するからでしょう。

でも、安易に外から調達していいものなんだろうか??とも思う。

きっと買って読めばそれなりに感銘を受けるはずです。おお、、、素晴らしいって。

いかにもじぶんが吸収し、成り替わったかのような高揚感も得られる(はずです)。

でも、それって、どこまでも”ひとのフンドシ”なんですね。

じぶん自身の中を深く探索し味あうこと無く、安易に外部調達しようっていう情け無いじぶんの根性がたいへん、気に入らないっ!

石に話すことを教える代わりに4600円のものに邁進しようとするおのれに警戒音が鳴り響く。。

さらにこんなレビューがあります。(しつこくてすみません)

『彼女にとって、本を書くこととは。

紙、その永遠の空白、可能性の純粋さ、自由が広がる空白を埋めること。

紙が彼女に書くことを教える。作家以外の人生なんて幾らでもある。

思わず「私は書くなんて大嫌いです」と言ってしまう彼女がそれでも何故書くのかは、意外ととてもシンプルなことなのかもしれない。

また、何ひとつ餌が無くとも、自らの肉体をナイフで削ぎ取り、それを餌に釣れるかわからない魚を狙う人、そのようにして書かれた本、

一冊一冊を読むことは、尊く、意味のあることだと思った。』

いや、この際、ひとのフンドシでもなんでもいいやっ!

読んだものたちがなぜか謎めいた感慨を持つに至るのかを知ってみたい、触れてみたい。

わたしは、世界が語りかける言葉を知らず、石に話すことを教えたことが無いんだもの。

しかし、お高い。。

ああ、、、、わたしのこころは彷徨う。


P.S.のP.S.(それから5年後、の本日)

ひとは年とってもあまり興奮の根っこは変わらないと思います。ここがわたしの”居場所”。

再掲しました。あなたとシェアできたら嬉しいです。

なお、けっきょくわたしは『本を書く』を取り寄せ読んだんです。

おおおおお。。アニーの世界に触れれました。たしかにしびれるぅー。

ああ、、、『石に話すことを教える』をぜひ、読みたいっ!

どうして彼女はこんな世界に入れるんだろう?

アニーの不思議な居場所がいっそう気になります。が、価格もさらにパワーアップし8000円に。。

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