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イトイ圭「花と頬」/人生が交差するとき

2019年10月に発売、遅ればせながらその年の年末に手に取った。1年を経て、いまごろ感想を書こうかと思っている(書き途中の原稿が下書きに残っていたのを、ちょうどいま思い出しただけ)。

バンド「花と頬」のメンバーを父に持つ高校生の頬子と、福岡から引っ越してきた八尋の物語。高校生の純な恋愛を余白たっぷりに描く、いわゆるガールミーツボーイ。

ものすごい作品だった。

作者が各所で言っているように物語に起伏もあまりないし、なにより言葉がすくない。息を飲むような展開は用意されていないし、ドラマチックなフィナーレにはほど遠い。

それなのに、なぜこんなに惹き込まれてしまうのだろうか。

これは人物ありきの物語なのだ。

たかがキャラクターではなく明らかに生きている人がたしかに存在していて、物語がはじまる以前からかれらにはかれらの人生があった。頬子や八尋が出会う前から、志津夫にも、哲にも、もちろん綾子にも歩いてきた道がある。悩み、苦しみ、間違いながら手探りで生きてきたもどかしい日々の、その一端が、余白から、言葉のひとつから、紙面を超えて色鮮やかに立ちのぼる。

そうしたごくありふれた日々の積み重ねのなかで、偶然、頬子と八尋が出会い、偶然、私たちがそれを目撃できたのだと思う。

多くを語らない作風だから、描き込みすぎない絵柄だから、そう感じるのだろうか。

とにもかくにも、この漫画を開くとき、何度も、何度でもかれらと交わることができるということは、違えようのない真実だ。それは娯楽のあり方としてはいささか歪だけど、すくなくとも、私という孤独な生きものを救う「何か」ではあるはずだと思っている。

読後、コンクリート造りの学び舎の、日がな太陽の光が届かない一角のあの独特な香りを思い出した。私の煤けた青春と、頬子と八尋とが交差する瞬間だった。


蛇足。

つい先日、短編集が発売になりました。次回作も楽しみ。

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