母はどこへ行く

ある夜のことだった。まだ引っ越して間もない今ほど荷物がない家へ、突然母が10人ほどの人を連れてやってきた。突然、ではなかったのかもしれないけれど、私と弟には突然だった。私たちは風呂に入ってパジャマを着て、あとは寝るだけだったところだから、もう8時を過ぎていたに違いない。

突然ドヤドヤとやってきた人たちに、私と弟はびっくりしてしまった。祖母が私たちを子供部屋へ連れて行った。「お母さんが劇の練習をするんですって」祖母の言葉にはとげがあった。たぶん小さな劇団だったので、練習する場所が確保できなかったのだろう。その日は確か10時頃まで練習していった。まだ中学生くらいの子もいて、遅くまで大変だなと思った。

それからも、何度か劇団の人たちは家に練習にやってきた。それがわかると、祖母は伯母の家に避難してしまった。祖母は洋裁師だったので、お客様のところに行くのを口実にして、出かけてしまった。そして帰りに都内にある伯母の家に泊まってくるのだ。母は祖母がいないと伸び伸びとしていた。弟はマスコットキャラのように、劇団の人たちに可愛がられた。人見知りの私は、遠くからそれを眺め、そんな人たちを家に連れてきては祖母のイライラを募らせていく母が嫌で嫌で仕方なかった。 

祖母は私の予想通り、母に対するイライラを募らせ、しかも母が劇団に入ったのが気に入らなかった。その頃、父は完全に祖母の味方になっていて、知らん顔ができなくなっていた。この頃から、小さな夫婦喧嘩が多くなってきていた。たぶん、祖母が父に文句を言っていたのだろう。

母の公演を一度見に行ったことがあるが、母はかなりセリフをトチっていた。

そこにさらに祖母を怒らせる事件が起こった。母が病院に勤め始めてしばらくしてから、真夜中に電話がかかってくるようになった。当時、我が家はまだ黒電話だった。真夜中にあの鋭いベルが響いて、私は完全に怯えてしまい、電話が鳴ると泣き叫ぶようになってしまった。両親は夜になると電話を毛布でくるんでベルが響かないようにしたけれど、それでもあのジリリリリンという音は、夜中の我が家に響いていた。

夜中の電話の正体は、母が勤めていた病院の患者さんだった。その病院は神経科だった。母は祖母が厳しい人だということをポロッとある患者さんにこぼしたらしい。それをその患者さんが母をいじめられているように取ったのだろう。つまりは母をいじめるな、ということを訴えた電話だった。 

加害者がわかってから、母は家の中で一番小さくなっていた。夜中の電話は一ヶ月程してから患者の親族に注意してもらってなんとか止んだものの、母の立場は家で一番弱くなっていた。私はしばらく昼間の電話でも取るのが怖くなっていたくらいに、トラウマになっていた。そのことについて祖母が母を責めたのだ。祖母が母を直接責めたのは、引っ越して来て以来初めてだった。

母は私が小学6年になる春に離婚して、家を出て行くことになった。その前年に、夏休みの終わりに祖母を置いて、家族4人で旅行に行った。それが家族4人での最後の旅行だった。その時の両親は穏やかに会話をしていた。私はまさか両親が離婚するとは思ってもいなかった。




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