てるこ

平凡に生きてきた。

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母の行き先

離婚してしばらく母と私たちは自由に会っていた。 私はちょっとだけそれが嫌になってきていた。帰って来ると祖母の機嫌が良くなかったからだ。 母は知ってか知らずか、こちらの予定も考えずにしょっちゅう私たちを呼び出していた。私たちに会いたい時に、どうやって連絡を取っていたのか、どうやって母が待つ場所まで行っていたのか、全く覚えていない。私と弟が学校から帰って来ると、いつの間にか母と会うお膳立てのようなことがされていた感じがする。 しかし母に男がいて、それに祖母が激怒したことで、私た

    • 母の行き着いたところは?

      両親が離婚したのは、私が6年生になる春のことだった。さすがにショックだった。母の荷物は少しずつ運び出されて行った。少しずつというのは、近所の人に気付かれないように。 その前の年の秋に、祖母を除いて親子4人で久しぶりに旅行をした。父の会社の保養所がある箱根へ行った。小さな喧嘩ばかりしていた両親は、気持ち悪いくらい仲良しだった。今思えば、この頃にはもう離婚を決めていたのだろう。 出て行く母に、弟が「どこに行くの?」と無邪気に聞いていた。私は母が離婚して出て行くのを少し前に聞い

      • 母はどこへ行く

        ある夜のことだった。まだ引っ越して間もない今ほど荷物がない家へ、突然母が10人ほどの人を連れてやってきた。突然、ではなかったのかもしれないけれど、私と弟には突然だった。私たちは風呂に入ってパジャマを着て、あとは寝るだけだったところだから、もう8時を過ぎていたに違いない。 突然ドヤドヤとやってきた人たちに、私と弟はびっくりしてしまった。祖母が私たちを子供部屋へ連れて行った。「お母さんが劇の練習をするんですって」祖母の言葉にはとげがあった。たぶん小さな劇団だったので、練習する場

        • それでも母は

          母がハハコシアターも人形劇団Pも辞めなければいけない時がやってきた。それは、新しい家への引っ越しだった。両親は家を買った。それは当時住んでいたところから少し離れてしまい、ハハコシアターの事務所とPの練習場所からはだいぶ遠くなってしまった。そして家のローンを返すために、母も働きに出ることになったのだ。 そして、私たちの面倒を見るために離れて暮らしていた祖母が召喚された。 母は結婚するまで看護師をしていたので、再び病院に勤めることになった。しかし、母は私たちには相変わらずスー

        母の行き先

          そして母は

          母はまるで天職のようにハハコシアターの仕事にのめり込んで、まるで共稼ぎのように家を留守にすることが多くなった。私たち子供も巻き込まれることが多くなった。弟は幼稚園が終わると母にハハコシアターの事務所に連れていかれ、そこで一人でおとなしく遊んでいた。私も学校が終わるとそこへ来るよう、言われていた。 事務所は家から歩いて行ける場所で、最寄駅まで行く途中だった。行ってもすることがないので、宿題をしたり置いてある絵本を読んだりしていた。母は私たちのことを振り返りもせず、熱心に仕事を

          そして母は

          母は変人

          変人とタイトルを付けたが、面白おかしい変人ではないので、全くと言っていいほど笑いがないことを先に行っておきます。 たぶん、最初は平凡な、どちらかと言えば保守的な主婦だったはずなんだけど。幼稚園くらいの時、ちょっとだけ手芸が得意な普通の主婦だった記憶。たぶん。 それは私が小学校に入学して、2年生になった時から始まった。 その頃、ようやく世間で食品添加物について議論が起こり始めた。長いこと、発癌性物質やらを含んだ添加物が世間にまかりとおってきたのだが、そのことを世間に告発す

          母は変人