母の行き着いたところは?


両親が離婚したのは、私が6年生になる春のことだった。さすがにショックだった。母の荷物は少しずつ運び出されて行った。少しずつというのは、近所の人に気付かれないように。

その前の年の秋に、祖母を除いて親子4人で久しぶりに旅行をした。父の会社の保養所がある箱根へ行った。小さな喧嘩ばかりしていた両親は、気持ち悪いくらい仲良しだった。今思えば、この頃にはもう離婚を決めていたのだろう。

出て行く母に、弟が「どこに行くの?」と無邪気に聞いていた。私は母が離婚して出て行くのを少し前に聞いてわかっていたので、黙って母が出て行くのを見送った。母は一番大切にしていた文机を自分で抱えて行った。階下では、誰かが車を用意して待っていた。その時に祖母がどうしていたかは覚えていない。

私は薄情かもしれないけれど、母が出ていって、もう大嫌いなキャンプに行ったりしなくて済むんだとホッとした。実はこの前年、引っ越す前の冬、私は無理やりスキー教室に行かされたのだ。スキーなんかしたことがないのに。しかも、スキーウェアなどの何の装備も無しに。結局スキーウェアを持っていないということで、私はスキーができなかった。スキー教室に行ったのに。その間何をしていたかというと、もう一人スキーウェアを持ってきてない子がいて、その子と二人でお菓子を食べたり、お土産を買ったりして、あとは部屋で遊んでいた。何をしに行ったんだか。お金の無駄であった。帰ってからそれを母に言うと、スキーウェアくらい貸してくれるのかと思った、とあっけらかんと言った。申し込む時に、それくらい説明が書いてあったはずだ。それよりも私が持ち帰ったお小遣いの残りの5000円に「ああ助かった」と言った。

母は私が何を感じようが学ぼうが、それは関係なかったのだ。私が「キャンプに参加している」という事実だけで、子供にいいことをしていると満足していたのだ。もしかしたら、私が人見知りだったのも知らなかったのかもしれない。ちなみに父はそれらに全く関心がなかった。寧ろ、後から来た祖母の方が私と弟の性格を把握していた。

家を出て行った母とは、最初の一年間くらいは頻繁に会った。母は何かと理由をつけては私たちを呼び出した。いつも、母と同じ年くらいの男性が一緒だった。男性は私たちとすごく仲良くしてくれて、おもちゃを弟に買ってくれたり、私も好きな漫画を買ってもらったりした。

その男性の家にも行った。今でも覚えている。黄色くて目立つマンションは、その最寄り駅からよく見えた。部屋には母の荷物が置いてあった。大切にしていた文机も置いてあった。この人と母は付き合っているのかな、と思春期にさしかかっていた私はぼんやりと思った。

母と会って帰ってくると、祖母は機嫌が悪かった。だから、その日母と会ってからの出来事を話さないようにしていた。でも、まだ小学生だった弟はペラペラとその日にあったことをしゃべっていた。母にどうやら彼氏らしき人がいるらしいと弟の話から知った祖母は、さらに機嫌が悪くなった。



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