それでも母は

母がハハコシアターも人形劇団Pも辞めなければいけない時がやってきた。それは、新しい家への引っ越しだった。両親は家を買った。それは当時住んでいたところから少し離れてしまい、ハハコシアターの事務所とPの練習場所からはだいぶ遠くなってしまった。そして家のローンを返すために、母も働きに出ることになったのだ。

そして、私たちの面倒を見るために離れて暮らしていた祖母が召喚された。

母は結婚するまで看護師をしていたので、再び病院に勤めることになった。しかし、母は私たちには相変わらずスーパーで売っていたお菓子を食べさせたくなくて、生協に入った。母が入った生協は、添加物に対して極端だった。自然の材料しか使っていません、という不味いヨモギ饅頭がおやつの中心になった。うちの冷凍庫にはヨモギ饅頭しか入っていなかった。添加物が入っていない食品はまだわかる。が、なんと泡が出ない歯磨き粉まで売っていた。当然のように、母はそれを買った。泡が出ない歯磨き粉の不味さといったらなかった。確か、ミントも入っていなかったと思う。

ところで、何故泡が出ないのかというと、「泡が虫歯を作る」という今では考えられない「都市伝説」が信じられていたからだ。しかし、そのうち私と弟は不味い歯磨き粉に抵抗し、たぶん母も不味かったらしく、いちご味やバナナ味のこどもハミガキに戻っていた。

それから、母は遠足に持って行くお菓子のチェックを欠かさなかった。普段と違って、遠足に持って行くお菓子は好きな物を買うことが許された。私は300円というリミットを目一杯使うために、友達と駄菓子屋に行って安い駄菓子をたくさん買った。帰ると入れ忘れないようにリュックにしまうのだが、母が再びリュックを開けてお菓子をチェックしていた。「これは何?」と母が聞くので、私は渋々答えた。「それは綿菓子」。駄菓子屋の消えない綿菓子が私の一番好きな菓子だった。「これは?」「あんずのお菓子」「そう。何が入ってるかちゃんと書いてないわねえ」「……」お菓子を取り上げられることはなかったけれど、母のチェックは本当に嫌だった。

ところで、私たちの面倒を見るために召喚された祖母は、母のことをものすごく気に入らなかった。そんな空気は小学生だった私にも伝わってきた。しかし、母は空気が読めなかったのか、わざとなのか、またもや大胆な行動に出てしまうのだった。

母はまたもや突然、地元のアマチュア劇団に入団してしまったのだ。そのことは祖母の逆鱗に触れた出来事につながってしまうのだった。

母が入ったアマチュア劇団の事務所は、母が勤めていた病院の近くだった。よく見つけたなあと今になってだが、感心した。大きい病院だったので夜勤もあったのに、母は精力的に劇団の練習に参加していた。祖母がいるからいいと思ったのか、勤め始めて自由を感じてしまったのか、家にいない時間が増えた。その間に、私と弟と我が家は祖母のカラーにどんどん染められていくのだった。母の居場所がどんどんなくなっていっていることに、母は気づいていなかった。


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